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今日、6月27日はニンテンドウ64の発売日だったそうで。

行ってみましょう、64思い出語り。

ちなみにニンテンドー64ではなく、ニンテンドウ64なのだそうですよ。


どーも、たけGです。


ニンテンドウ64が発売されてから今年で29年だそうです。

来年で30年!

もうそんなに経つのか…


ちなみに64が発売された29年前の僕は25歳でした。


大学を卒業し、社会に出て数年。

社会に馴染んできたかそうでもないか、いわばそんな時期でした。

人生100年と考えると、25歳、50歳、75歳…

と、いわば人生を今一度振り返るターニングポイントのような時期。


そんな僕の、いわゆる折り返し地点で発売されたわけですねニンテンドウ64。

あの時はこれが人生の1つの折り返し地点だなんて、そんなこと考えてもなかったですが。

当時25だったわけですが、あの頃の僕は大学も卒業して社会に出たにもかかわらず、未だ実家住まいの親のスネかじりだったのですよ。

タイムリープして、正座させて説教してやりたいもんです。


当時の僕は絶対に聞く耳持たなかったとも思いますが。



さて、そろそろ本題へ。


・ニンテンドウ64を購入


64は、発売日とほぼ同時購入。

一緒に買ったソフトはもちろん「スーパーマリオ64」


ほんの数ヶ月前にFFⅦ発売決定を受けてPS本体を買ったばかりだというのに、また大きな荷物を抱えて帰ってきた息子を見て、母親は呆れていましたね。


それまで持っていなかったPS本体を購入したのは、先に書いたように「FFⅦ」がPSで発売されると発表されたから急遽買ったようなものでした。


それに対して、64はもともと買う予定でした。


それはもう、64がプロジェクト・リアリティと呼ばれていた頃から、買うならこのハードだ!と心に決めていましたから。


「バーチャファイター」を擁してセガサターンが、「リッジレーサー」を擁してプレイステーションが、えーっと、「バトルヒート」だっかな…それを擁してPC-FXか発売された1994年末。

他にも3DOやらジャガーやらプレイディアやらが発売されたこの年はいわゆる次世代機フィーバーで世が湧いておりましたが、僕はまだ謎のベールにつつまれていた任天堂の次世代機を買うと心に決めていたので、どれも買いませんでした。


まぁ、「真サムライスピリッツ」遊びたさにネオジオCDは買っちゃったのですが…



ほら、ネオジオはぶっちゃけ次世代機じゃなくて、スーパーファミコンの同世代機だから、次世代を買わなかったという話に間違いはないはず!


ネオジオCDについて語り始めると脱線どころでなくなるので、上記リンクの関連記事を読んでもらうとして、なぜに僕がゲームセンターでそれなりに好きだった「バーチャ」や「リッジ」を遊べるSSやPSを買わずに、まだ海のものとも山のものともわからない64を買うと心に決めて待ち続けていたのか。

それはスーパーファミコンのソフト資産の最新作がそのまま発売されると信じて疑わなかったからですね。


「マリオ」や「ゼルダ」、「MOTHER」に「ファイアーエムブレム」に「メトロイド」といったファミコン時代から続く名作の数々。

スーパーファミコンでデビューした「F-ZERO」や「スターフォックス」だってウルトラファミコンとか呼ばれている任天堂の次世代機で発売日されるに違いない。


それはスーパーファミコンで発売されていた数々のサードパーティ製のソフトにしたって同様。

当時は別々の会社だったスクウェアとエニックス。

今となっては信じられない話かもしれませんが、この2社のソフトが任天堂ハード以外にソフトを供給することは絶対にありえないと思われていた時代でした。

なので「ドラクエ」も「FF」も、最新作は絶対に任天堂の次世代機で発売されるというのは、当時のゲーマーの間では常識だったわけなんです。

つまりは「マリオ」や「ゼルダ」といった任天堂ソフトや「ドラクエ」「FF」も遊べることが約束されている64を買うというのは、ファミコンで育ってきた僕の中では当然の選択だったわけなんですね。


だからこそ「FFⅦ」がPSで発売されるとジャンプの巻頭記事で発表された時にはそれはもう大騒動でした。




ゲームに関する発表で、この「FFⅦ」移籍騒動のインパクトを超えるものはないと思います。

「FFⅦ」について語り始めると脱線どころでなくなるので上記リンクさんの関連記事を読んでもらうとして、「FFⅦ」の発売が決まったことで世の中の流れは確実にPSに傾いてきたというのに、なぜ64というハードを買おうという気持ちが揺るがなかったのか。


ひとつは「マリオ」や「ゼルダ」といった任天堂ソフトは絶対に64以外のハードではでないというのはわかりきっていたから。

「ドラクエ」はPSには移らないだろうしな!というのもあったかもしれません。(結局はその思いも挫かれますが)


64発売の前年に開催されたニンテンドースペースワールドで、ついにお披露目された専用ソフト「スーパーマリオ64」の実機プレイの映像。

当時僕はテレビでそれを見たのですが、1発で釘づけになりましたね。


何これ、面白そう!


3Dの立体的なフィールドを走り回り、飛び跳ねるマリオ。

左右に奥に手前のこちら側にまで駆け回る。

立体感のあるフィールドをよじ登り、飛び降りる。

スライダーを滑りおり、水の中まで泳いでいて。

そしてクッパの尻尾を掴んで360度振り回す。


すごい衝撃でしたね。

早く遊びたいって思いました。

この時一緒に発表されたこれまでになかった珍妙なデザインのコントローラーを早く触って、それでもって早く遊びたくて仕方がなかったです。


思えばPCエンジンやメガドライブ、スーパーファミコンが世に出た時、そしてセガサターンやプレイステーションが世に出た時はそのグラフィックの進化に驚いたもんです。

こんな、ゲームセンターと同じようなゲームが家で遊べるようになるのかと。


一方で64に対してはグラフィック面では驚くような進化は感じられませんでした。

サターンやPSの画面に慣れた目には、64ビットを謳う割に32ビット機からのグラフィックの進化をそこまで感じられず、逆にCGムービーを多用できない64だと雑誌などで静止画をパッと見る分には、進化どころか追いつけてないぐらいにも思えてしまうんですね。


ですが、64については、グラフィックではなく、これまでのゲーム機では感じられなかった未来を「スーパーマリオ64」を通じて感じたように覚えています。

360度の3Dフィールドを自由自在に駆け回るマリオ。

友人から借りたPSで、「キングスフィールド」や「機動戦士ガンダム」、「ジャンピグフラッシュ」などの3Dゲームを借りて遊んだ時にも、凄い時代になった…とは思いましたが、「マリオ64」の動きはそれらとは全く異質で、まさに自由自在に動き回るという表現がピッタリでしたから。


この、デモ映像を見た日からこれは絶対に発売されたら即買おうと心に決めたのです。


そして1996年6月23日の発売当日。

仕事終わりの帰り道で行きつけのゲームショップに立ち寄り、64本体と「スーパーマリオ64」を購入。


後にも先にも、発売日当日に購入したハードは、64だけです。

それだけ「スーパーマリオ64」を遊びたくて仕方がなかった。

母親からは呆れた目で見られるだけではなく、小言も言われたように覚えていますねぇ。


そんな母親の冷たい視線をよそに、20歳をはるかに過ぎていい大人になっていたはずの僕は部屋に引きこもってひたすらに「マリオ64」を遊んでいました。

最初はとにかくピーチ城の周りを走り回るだけで楽しくて仕方がなかった。



ゲームについては、こちらの記事にて書いています。

とにかく楽しくて仕方がなかったのを覚えています。


・ソフトの出ない64


そんな、僕を熱中させたニンテンドウ64というハード。

同時発売ソフトは「マリオ64」の他は「パイロットウイングス64」と「最強羽生将棋」のみでした。

買った人のほとんどが「マリオ64」目当てだったでしょうね。

「羽生将棋」を選んだ人はどれだけいたことでしょうか。


そしてその後、実に3ヶ月ほどソフトが一切出なかったのです。

新作ソフトが発売されない、となると当然ハードも売れなくなる。

今のSwitchの快進撃からすると信じられない話ですが、この任天堂の最新ハードは当時は全然売れてなかったのですよ。

最初こそマリオのパワーでスタートダッシュには成功しましたが、マリオに続くランナーが出なかったのですぐに失速しちゃったんですね。


この頃の僕はPSも持っていたしネオジオCDもあったので、「マリオ64」ひとつあれば別に新作ソフトが出なくても不便することはなかったのですが、世間一般的には任天堂が王座から陥落とか、いろいろ言われてましたねぇ。


9月くらいにようやく新作ソフト「ウェーブレース64」が発売されましたが再加速するまでには至りませんでした。

僕も買わなかったし(ヲイ)


あ、後に中古で安くなっていたのを買って遊んだら、めちゃくちゃ面白くて一時期ハマりましたけどね。


時勢はもはやPSに傾きはじめてきましたが、任天堂がその強さを発揮するのは年末商戦。

64ユーザーが待ち焦がれていたソフトがついに発売されたのです。


ドラクエのエニックスが放つ64ソフト第一弾。





ジブリっぽい絵柄の美少女ロボット、ジョゼットと交流する育成アドベンチャー。

潜水艦シューティングも出来るこのゲームにみんな夢中!



…ウソです。

すいません。



このソフトはドラクエのエニックスということもあり、宣伝も大々的ににかけられていて、こいつぁ売れる!と判断されたのでしょうかね。

おそらく大量発注かけられたものの、全く売れず、あっという間にワゴン行き。

オマケでゲームソフトがついてくる、お得なコントローラーパックとしてその名を馳せることになりました。

僕も1,000円以下で新品を購入しましたし。

今にして思えば良い子の64のユーザー層のニーズに全然マッチしていないというのもわかりそうなものですが。



テレビCMの内容も誤解を呼んでしまったかもしれないですね。

ギャルゲーっぽさを前面に押し出していて、本質はそんなゲームじゃないから!と言うような内容のCMだった記憶が。


戯言はさておいて(J2そのものは良いゲームでしたよ!)、この年の年末商戦、ユーザーの期待に応えて大爆発したのは「マリオカート64」でした。







これは当時バカ売れしましてねぇ。

ハードの売り上げにも貢献したようです。

売り上げ本数は普及していなかった64で100万本達成して、その実力を世に知らしめたもんです。

そして、このようにも言われました。


『セガサターンのバーチャファイター2のようだ』と。


バーチャ2後のサターンの失速ぶりを見るに、あまり嬉しくない例えでしたね。


僕も「マリオカート64」は発売日に買いました。

ソフトにコントローラーが一つ付いておりまして、更にコントローラーを2つ追加で購入。

4人対戦出来る環境を整えて友人たちと集まって遊びまくったもんです。

「マリオカート」シリーズで1番遊び込んだのはこのソフトだったと断言できます。


・良作タイトルが揃う97年。


しかし、「サターンのバーチャ2みたい」の予言(?)通り、年が明けると64はソフト不足から再び失速。

一方のPSには「FFⅦ」が発売され大盛り上がり。

更には恐れていた「ドラクエ」のPS移籍発表。

まぁ、この時には「やっぱりそうかぁ」と思った程度で、「FF」の時ほどのショックはなかったですが。

その追い風を持って勢いづいたかのように様々な大作タイトルがPSから発売され、世の中はもはやPS一色の時代でしたねぇ。


僕も「FFⅦ」をはじめ、PSソフトで遊ぶことの方が多かったと思います。

64にも少しずつソフトが発売されていくようになりますが、本当に少しずつであり、PSの新作ソフト攻勢には比べるまでもなかったですね。


戦いは数だよ兄貴!


ですが、ここで声を大にして言いたいのは、この1997年に64で発売されたソフトは数は少なく地味なれど、多くの良作が排出された大豊作の年であったと思うのです。



シリーズ最高傑作だと思う「スターフォックス64




壊して壊して壊しまくる爽快感の一方で、血管が破裂しそうなくらい頭を使うパズル要素も楽しかった「ブラスト・ドーザー




AT-ATの脚を引っかけて倒す事に夢中だった「スター・ウォーズ 帝国の影




敵を掴んでフリフリするのが楽しかった2D横スクロールアクションの傑作「ゆけゆけ!! トラブルメーカーズ




マリオと同様に楽しい3Dゲームへと昇華した「がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり


「ゆけゆけトラブルメーカーズ」同様、2D横スクアクションの楽しさを再認識させてくれた「ヨッシーストーリー





これだけの良質なゲームが豊富に出たこの年ですが、特筆したいのが以下の2本。



まずはこのゲームにここまで熱中したのは僕だけではなかろうかと思う、「ヒューマングランプリ ニュージェネレーション」

ヒューマングランプリ ザ・ニュージェネレーション 








スーファミから続くシリーズの最新作。

正直言って、PSで発売された「フォーミュラ1」シリーズや、後に64で発売された「F1ワールドグランプリ」あたりと比べると実名でもないし、粗の多いF1ゲームだと思いますが、個人的にはすごいハマったんですよねぇ。



詳しくはこちらの記事にて。

64と言えば「ヒューマングランプリ」!だなんて、日本中探しても僕ぐらいではないでしょうか。


もう一本、97年の特筆すべきソフトは「ゴールデンアイ007」


ゴールデンアイ007



こちらは64ソフトの中ではかなりメジャーどころで、64を持っていた方ならほとんどの人がご存知だと思います。

ですが、発売当初は僕はまったくのノーマークでした。

「007」のソフトが出ていたことは知ってましたが(確か映画評論家の水野晴郎氏がCMに出ていたように覚えてます)、買って遊ぼうだなんてこれっぽっちも思ってなかったですね。

かたやPSでは「サガフロンティア」を筆頭に多種多様なソフトが発売、SSの「スーパーロボット大戦F」が発売されたのもこの頃じゃなかったかな。

いかに64推しの僕でも「買うならやっぱり007だろう!」なんて言うような市場ではなく、この頃は他のハードの新作の方に目が行ってたいましたねぇ。


そんな時、007発売からしばらく経ってから(ひょっとしたら年をまたいでいたかもしれません)確かテレビのニュースだかワイドショーを見たんですよ。

記憶が正しければ小学生の間で流行っているものの紹介か何かで、子供がインタビューに答えるような内容でした。

その男の子が64を挙げた時には、さすが64は小学生には人気だなと思ったのですが、一緒に挙げたソフトが「007」だと聞いて耳を疑いましたね。

「007」ってあの「007」⁉︎

「マリオカート」でも「スターフォックス」でもなく⁉︎

その番組では確かゲーム画面は放映されなかったのですが、子供たちがテレビに向かって盛り上がっている様子が映し出されていたように覚えています。

ですが、この番組見ただけでは「007」がブレイクしてるとは思いもせず、「へぇ~」ぐらいにしか感じなかったんじゃないかな。

むしろ、ずいぶんニッチな子供に取材したもんだくらいにしか感じてなかったかもしれません。

この頃は今と違ってネットは普及しておらず、確かめる術はありませんでしたし、何より周りで「007」遊んでるなんて話を聞いたことなかったですしね。

実はこの頃僕はゲームショップに勤めていたのですが、「007」が売れているような事実もありませんでしたから。

(どちらかと言えば客層は大学生や社会人が中心の店舗で子供客は少なかったし、売れないからという理由でそんなに入荷してなかったのもありますが)


しかしその後、ファミ通(だったと思う)の方でも同様の、子供にインタビューする記事が載っていたんですよ。

確か、今小学生が欲しいもの、というテーマで子供にインタビューしてたんだったかな。

そこでその子供が答えていたのは、

「64!64の全て!」

「007!」


みたいな感じで答えており、ここでもまたジェームズ・ボンドも知らないような子供の口から「007」の名前が出てきたわけですよ。

今、友達の間では「007」が大流行りなんだとか、そんな事も話してたっけな。

それでインタビューした記者さんも興味を持って遊んでみたらハマってしまって、またたく間に編集部で流行ってるソフト一位になったような、そんな記憶が残ってます。

(手元に資料がないので、どこまで記憶が正しいかは怪しいのですが)


事、ここに至れり。

これは本物だ!

と確信して、中古でソフトを購入。


遊んでみたのですが…最初は難しくてよくわかりませんでした。

なにせFPSというジャンル自体初めてだったもので、操作や遊び方に戸惑ったものです。

うーん、面白くないわけではないけど、果たしてこれが子供の間でそんなに大流行りするようなゲームなのか…?

というのが第一印象。

そういえば、友達の間で流行っているとか言ってたし、テレビでは子供達が数人で遊んでいたな。

どうやら画面分割で最大4人まで対戦出来るみたいだな。

「マリオカート」の時にコントローラー4つ揃えてたし、招集をかけてみるか!


というわけで友人たちを呼んで対戦を試してみたのですが…


楽しかったですねぇ。

対人戦でこそ真価を発揮するゲームでした。

これまでの格闘ゲームやレースゲームの対戦では味わえなかった緊張感と爽快感に、いい年した大人たちがみんな夢中になりました。


しかし今にして思えば子供の着眼点ってすごいですね。

大人たちがこれっぽっちも見向きもしていなかったゲームの面白さに本質に気づいて、友達の間で広まるとそれが口コミを通じて全国に拡大してメディアにまで取り上げられるんだから。

今の子供たちが「スプラトゥーン」や「フォートナイト」を遊んでいるような感覚で、当時の子供たちは「007」を遊んでいたのかもしれませんね。

ただ、最初から狙ったデザインの「スプラトゥーン」や、海外で大ヒットした評価や下地があった「フォートナイト」に比べると、「007」は子供からすれば「誰?このオジサン?」とか思われかねないし、パッケージの見た目も子供向けのオシャレなデザインとは程遠いピアース・ブロスナン。(大人からすればオシャレでカッコいい方なのですが)

発売当初の評価も、洋ゲーでとっつきにくいという評価が多かったんじゃないかな。

今となっては信じられないことですが、当時の海外製のゲームは、洋ゲー=とっつきにくい、難しい、一歩間違えればクソゲーという風潮でしたから。

ですが、見た目で判断せず、大人たちの評価に惑わされず、ゲーム本来の面白さに気づける子供たちって、今も昔もやっぱり凄いなぁ。


・ヨッシーの受難


以上に挙げたように2年目のニンテンドウ64。

97年もソフト自体はそこまで発売されてない中でかなりの良質なソフトが世に出ました。

任天堂の掲げる少数精鋭主義が身を結んでいたと思います。


ですが、繰り返しになりますが、この年の最初に発売された「FFⅦ」を筆頭にしたPSの勢いは凄まじく、当時のゲーム市場のシェアはもはやPS一色。

当時は職業としてショップの売り場に立っていたので、現実的に64が全く売れないのを目にしておりました。


戦いは数だよ兄貴!(2回目)


しかし、前年の「マリオカート」の時のように、任天堂が真価を発揮するのが年末商戦。

その年の年末商戦の目玉商品は「ヨッシーストーリー」


ヨッシーストーリー







ゲーム自体は先ほど書いたように、非常に良質な2Dアクションゲーム。

とても楽しく遊ぶことが出来ます。


しかし、このソフトの販売方法で任天堂がやらかしてしまうのです。


それこそが、悪名高き分納システム。


一般の方には聞き慣れないかもしれない分納という言葉ですが、これは事前に発注をかけた商品を発売日当日に全て納品するのではなく、数回に分けて納品していくシステム。

任天堂が昔から行っていた納品方法なのですが、この年の「ヨッシーストーリー」の時はあまりにひどくてですね。

雑誌でこの問題を提起する記事が書かれたり、鈴木みそ先生がマンガに描いたりしたもんだから、この「ヨッシーストーリー」事変によって分納という言葉が知られるようになったのかもしれません。


このヨッシー分納事変の何がひどかったと言うとですね。


まず「ヨッシーストーリー」を事前に10本発注していたとしましょう。

発売日は12月21日、クリスマス直前という絶好の販売機会。

発注した本数が全部入荷してたら間違いなく捌けていただろうタイミングで入荷されたのは、10本発注したうちたったの2本。

即座に売り切れ、あとは問い合わせの雨あられ。


それでは本番のクリスマスイブやクリスマス当日に入ってくるかと思えばさにあらず。

1本たりとも入荷されず、次の入荷があったのが、サンタも自分の家に帰ったと思われるクリスマスが明けた数日後。

それもまだ10本発注したうちの3本のみ。

あれだけ問い合わせのあった「ヨッシーストーリー」

ようやく入荷されたけど、それでもたったの3本。

すぐに売り切れるかと思いきや、あれ?なんだか売れ方が鈍い?

 

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なんだか嫌な予感がするまま大晦日を過ぎ、正月休みも明けでから残りの5本がドカーンとまとめて入荷。


商機を逃してしまったこのソフトがまったく売れるわけもなく在庫がダブつき、哀れ「ヨッシーストーリー」はみるみる値崩れし、ワゴンの一角を占めることになるのです。


わかりやすく10本としましたが、現実はもっと多く発注してますからね!


比率については2:3:5みたいな分け方で間違いなかったと思います。


大型店なら100本単位で発注していたのではないでしょうか。

実際この時は店頭に立つ側の人間だったのでよく覚えているのですが、発売日からクリスマスにかけての「ヨッシーありますか?」の問い合わせは本当に多かったんですよ。

お父さんお母さんみたいな方も多かったから、クリスマスプレゼントとして考えていたのでしょう。

ありませんと頭を下げて謝るのが心苦しかったですねぇ。


それなのに、ソフトの在庫が揃ったのは、もうクリスマスや正月が明けてから。

その頃にはヨッシーありますか?と聞くお客様はもはやおらず、値段を下げても下げてもレジ裏に積み重なった「ヨッシーストーリー」が売れることはありませんでした。

PSの「グランツーリスモ」や「テイルズオブデスティニー」は最初に大量発注したものが全てそのまま入荷され、こちらが思っていた以上に売れて在庫が捌けていき、年明けには適正在庫になっていたのと比べると、あまりに対象的でした。

まぁ僕自身、値崩れしてから「ヨッシーストーリー」を購入してるので偉そうなことは言えないのですが、遊んでみてとても楽しいソフトだということは実感できたので、あの時、発売日に最初から在庫が揃っていれば欲しかった人たち全ての手に渡り、こんなにいいソフトがワゴンに並ぶ事もなかったのに….と思うと悲しくなりましたね。


64はPSやSSと違ってCDロムではなくカートリッジなので、発注した通りの数を揃えるのが難しかったのかもしれません。

でも、さすがにここまでひどい分け方をされると真実はそうではなく、品薄感を演出しようと目論んでいたんじゃないのかとか邪推してしまいますよねぇ。

目論みがあったのかどうかは定かではないですが、真の強さを発揮できるはずの年末商戦で外してしまい、良作が揃っているのにソフトもハードも売れないN64。

ますます勢いを増すPS陣営。

まずハードを売りたい任天堂は、この辺りから迷走をはじめるのですが…。



とりあえず今日はこの辺で。


一本の記事にまとめるつもりが、あまりに長くなりすぎてきたので一旦この辺で締めたいと思います。


いつかまたここで会いましょう。


次回は迷走からの逆襲編へ。





みんなも、64、ゲットだぜ!



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