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パッケージからして、情念が滲み出ているような気がするなぁ。

さあて、N64発売29周年の日に綴る思い出語りの後編です。


どーも、たけGです。


ニンテンドウ64の思い出語り・後編。迷走から逆襲へ。行っちゃうよ!




ちなみに前編はこちらから。






・64よ、波に乗れ!


96年に発売、97年に多数の良質なソフトを発売したものの、絶対的なソフト数不足、特にRPGや格闘ゲームといった人気のジャンルのゲームが無いことの不利はいかんともしがたく、低空飛行を続ける64の売り上げ。

満を辞して迎えた年末商戦でも、目玉商品だったはずの「ヨッシーストーリー」の売り方のまずさもあって不発に終わり、なかなか売り上げに繋がらないニンテンドウ64。

もはやゲーム業界の帝王と呼ばれた任天堂もこれで終わりなのか…


と、PSの快進撃と64の不調だけ見るとそう思われるかもしれませんが、ところがどっこい。


64のそんな状況に関わらず任天堂の業績は絶好調。


全然売れない64、もはや市場での役目を終えつつあるスーパーファミコンで、なぜそんなに好調な業績をあげられていたのかといえば、その理由がゲームボーイ。

64が発売された1996年当時、新作ソフトの発売も少なくなり市場が終焉しかけていた白黒の携帯ゲーム機ゲームボーイでひっそりと、とあるRPGが発売されたのです。


そのソフトこそ、「ポケットモンスター赤/緑」


ポケットモンスター 赤





そう、いまや世界中で知らぬ者はいないと思われる、ポケモンこと「ポケットモンスター」シリーズの第一弾です。

PSや SSの新世代グラフィックのゲームが市場を席巻するなか、スーファミよりも旧世代なモノクロゲーム機の新作ソフトとして、おそらく最初のうちは特に注目されていなかったこのソフト。

それが口コミで人気が広がりはじめ、話題が話題を呼んでまさかのアニメ化で大ブレイク。

小型軽量化したゲームボーイポケット本体とともに市場を席捲することになるのですよ。


世はまさにポケモンフィーバー。

本来なら主力商品であるはずの据え置きゲーム機である64が不調のなか、任天堂の屋台骨を支えていたのは間違いなくポケモンとゲームボーイポケットであったと思われます。


それならば、そのポケモンの恩恵に64もすがるのだ!


と、言うことから、64でもポケモンのソフトが発売される!のはもう少し後の話。


97年9月、まず任天堂が打った第一の手が、みんな大好きピカチュウ様。


64を買うと、なみのりピカチュウが当たるでちゅう!キャンペーン。


64を購入した人の中から抽選で1万名様に、なみのりピカチュウがもらえますよー!という販促キャンペーンでした。


なみのりピカチュウとは、ゲームボーイソフト「ポケットモンスター」を普通に遊んでいるだけでは絶対に覚えることのない水属性のわざ、なみのりを覚えた特別なピカチュウで、苦手な土属性のポケモン相手にも戦えるようになるスグレモノ。


このピカチュウ効果で、64本体もバカ売れだね!




…いや、そんなに売れなかった記憶が。


いくら大人気のゲームのレアキャラとは言え、それが欲しいがために別のハードを一台丸々買うとはなかなか考えにくい。

よしんばこの、なみのりピカチュウ欲しさに64本体買ったとしても、抽選券を手に入れたら中古に売ってしまう人も少なくなかったのではないでしょうか。

セガサターンにバーチャファイターリミックスを同梱するキャンペーンの方が、よっぽどストレートで分かりやすいキャンペーンだったと思う、なんか迷走してるな任天堂と思えるキャンペーンでした。

どうせなら「マリオ64」同梱しちゃえよ!とか思ったのは僕だけではないはず。



・みんなもこれで、64、ゲットだぜ!


しかしこれで終われる任天堂ではない!



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まだだ!まだ終わらんよ!


次の一手を打ちます。


その名も、Wゲットだぜキャンペーン。

その名を見るだけでピンとくる通り、またまたポケモン絡みのキャンペーンです。


ゲームボーイソフトのポケットモンスターの大ヒットはメディアの垣根を越えて様々なヒット商品を生み出します。

アニメにマンガ、バトエン、各種玩具。


そして、トレーディングカード。


この頃、「遊戯王」を筆頭に、子供たちの間ではトレーディングカードが大流行り。

ポケモンを題材にしていたポケモンカードゲームも、当然のごとく大ヒットしておりました。


ポケモンカード GB

ポケモンカードって、今やとんでもないことになっているようですが…


そこに目をつけたか、当時の年末商戦の販促キャンペーンとして、64本体を購入したらポケモンカードのレアカードが2枚とポケモンのCDがついてくるキャンペーンを実施したわけなのです。


クリスマス時期に最新ハードであるニンテンドウ64を買うと、ポケモンカードのレアカードに加えてCDまで付いて来るキャンペーン!

それに今度は抽選ではなく100%もらえるんだから、


これは64バカ売れ間違いなしだね!



…やはりそこまで売れなかったような記憶が。


やはりハードは欲しいソフトがあってこそナンボ。

この当時、ポケモンカードをきっかけにして64を買った人がいたとして、同時期の目玉商品になるはずだった「ヨッシーストーリー」は分納システムのため市場に揃ってませんでした。(その後の悲劇は前回書いた通りです)

それに、カードを目当てに買われた商品の辿る道は、仮面ライダーチップスやプロ野球チップスの歴史が実証している通り。

推測でしかないですが、ポケモンカードをきっかけに64を購入した方の中で、目当てのカードをゲットしたあとで64を中古に売ってしまう人も少なくなかったのではないでしょうか。

抽選ではなく100%もらえたとなったので、その比率はなみのりピカチュウキャンペーンの時よりも高かったのではなかったのではないかとも思います。


まぁ僕が勤務していた店舗では、このキャンペーンをもってしても64が大きく売り上げを伸ばすことはありませんでしたけどね。

当時読んでいたファミ通や業界紙に掲載されていたハードの売り上げ推移のデータを見ても、全国的にそれほど売り上げが伸びていたとは思いませんでした。

一方で「グランツーリスモ」や「テイルズオプデスティニー」をはじめとした有力ソフトを多数揃えたプレイステーションはバカ売れし続けており、ハードが入荷されてもすぐに完売してしまうような状況を見るに、やっぱりハードが売れるにはそのハードでしか遊べないソフトがあってナンボ。

レアなキャラのデータやカードがついていたところで、そのハード自体の魅力には繋がらないよなぁ。

と思わせる任天堂の迷走販促2連発。


同時期の「ヨッシーストーリー」分納事変と合わせて、この頃の任天堂は本当に迷走してたんだなぁと思い出させます。


ですが任天堂の迷走はまだ終わらない!




・ついに64にも「ポケモン」ソフトが降臨!


明けて98年。

前年のソフトの充実っぷりに比べると98年前半はちょっと地味な印象。

「テンエイティスノーボーディング」や、「実況パワフルプロ野球」「実況ワールドサッカー」など、スポーツゲームの名作は出ていましたが、個人的にはスポーツ系はあまり遊ばないのでほぼスルーしてました。

推しレスラーのスーパーストロングマシン選手が隠しキャラという美味しいポジションで登場する「新日本プロレス闘魂炎導」は購入してよく遊んでましたが。


新日本プロレス 闘魂炎導 BRAVE SPIRITS





前年の「ヒューマングランプリ」と同様、世間とちょっとズレてる気がしないでもないですが。


そして夏には64ユーザーが待ち望んでいたであろう「F-ZERO X」が発売。

F-ZERO X









これは僕も買いました。

シリーズでは1番好きかも。

圧倒的なスピード感がたまらなかったですね。

Switchでリメイクするなら続編の「GX」よりこちらを希望したいところです。


ただ、「F-ZERO」はどちらかと言えばコアなマニア向けのゲーム。

ハードの売り上げを伸ばすほどのパワーはありませんでした。


ハードの売り上げを伸ばすためには知名度も高いソフトが必要。

そしてポケモン人気も相変わらず絶好調。

ただ、ポケモン人気にあやかったところで、その特典が64というハードに関係なければ売り上げにそこまで影響しないというのもすでに実証済み。


ようやくそのことに気づいたか、任天堂も64というハードで遊べる「ポケモン」のソフトを発売しました。


それこそがN64初のポケモンのゲーム、「ポケモンスタジアム」


ポケモンスタジアム(64GBパック付き)

ゲームボーイ「ポケットモンスター」のデータを64に読み込むことで、ゲームボーイで育てたポケモンたちをテレビ画面で、それも64の3Dグラフィックで楽しませることのできるソフトでした。


最初にこのソフトの情報を知った時は、すごいソフトが出てきたな、さすが任天堂だ!と思ったもんです。

ゲームボーイで自分が育てたポケモンたちが、美麗な3Dグラフィックで動き回り、羽ばたき、炎や雷を放つ。

更には友人の育てたポケモンと対戦できる。

「プラモ狂四郎」のプラモシミュレーションのようなシステムが現実になってきた!

この感動の例え、わかる人にはわかっていただけますでしょうか。


この頃僕も友人に誘われて、ゲームボーイのポケモンを遊んでました。

その友人が64を持ってないくせに「ポケモンスタジアム」を買って、仲間内で64を唯一持っていた我が家に乗り込んできたんですよ。

そして同じくポケモンを遊んでいるいい年した大人たちが集まって、一大ポケモン大会が開催されたのですが…


さぁ遊ぼうという時に集ったおっさんポケモントレーナーの皆から戸惑いの声が溢れ始めます。


「あれ?オレのキュウコン、いないんだけど?」


「オレのゴルダックもいなくね?」



そして僕が愛用していたギャロップもいませんでした。


そう、この初代「ポケモンスタジアム」、151匹のポケモン全てが使えるわけではなかったのです。

151匹のポケモン中、バトルに参加できるのは40匹のみだったのですよ。

40匹の選考基準が何かと言うと、公式大会での出場頻度が高いポケモンだとか、テレビ番組での使用頻度が高いポケモンだとか、そんな理由だったかと思います。


ですが、ストⅡだってみんながみんな、リュウやケン、ガイルを使うわけじゃないでしょう?

ブランカやザンギエフを使うプレイヤーだっているわけですよ。

なのにこの「ポケモンスタジアム」をストⅡに置き換えると、リュウ、ケン、春麗、ガイル、サガットしか使えませんよ、と言っているようなもんなんですよ!



大体にして純粋な少年ではなく、ひねくれた思考で凝り固まったダメな大人たち。

世間一般で人気の定番で強いポケモンを選択するはずもなく、ちょっとズレた選択をする奴ばかり。

オレはコイキングをギャラドスにするつもりなんて毛頭ないんだ!

と、ひたすらにコイキングを進化させずに使い続ける阿呆猛者もいたぐらいですから。

そんな、進化を誤った大人たちが楽しめるポケモンがほとんどいなかったんですよォォォォ!


いやぁ、これはやっちゃったなぁ任天堂。

売れない64をなんとか普及させようと、ポケモン人気にあやかって、ゲームボーイソフト用の特別なデータや、ポケモンカードのレアカードをつけるキャンペーンを行ってきましたが、そのどちらも上手く行ったとは言いがたく、やはりハードを普及させるにはソフトが必要!

それでようやく64専用のソフトにして大人気のポケモンと、完璧な布陣であったはずなのに、何この中途半端っぷり!


未完成というか体験版レベルの作品を発売するという、およそ任天堂らしからぬ商品だったんですねぇ。


任天堂と言えばとことんまでソフトを作り込み、発売日が伸びるのも当たり前。

市場にそぐわないと判断したソフトなら、時間をかけて開発してきたものでも容赦なく発売中止とする。

そんな、妥協なき任天堂が、こんなにも中途半端なソフトを出したことが当時は信じられませんでした。


いや、今でもな!



まぁそれだけ64というハードの売れ行きが危機的状況であったことは、当時を知る身からしても疑いようがありませんでした。

絶好調のPSはおろか、次世代機の発売を控えていたセガサターンよりも売れてなかったような状況。

ヨッシーストーリーやF-ZEROといった、スーファミ時代の資産をもってしても起爆剤にすらならず。

そうなれば当然、当時大人気だったポケモンに縋ろうというのは理解できますが、こんな中途半端なソフトを発売しなければならないほどに追い詰められていたというのか。


だとしてもソフトの制作から販売にかけて妥協を許さないと言われていた任天堂に、こんな妥協極まりないソフトを出して欲しくなかった。


ロムカートリッジで容量が足りなくて、出来る限りの最善は尽くしたソフトだったのかも?

確かに、64というハードでは全141匹のポケモンを3D化するのは無理だったんだよ!とか言われれば、まだこれで仕方がなかったんだ、精一杯の結果だったんだとも思えたでしょう。


ところがその後、1年とかからず容量問題をクリアして全ポケモンを実装した「ポケモンスタジアム2」が発売されているんです。





従来の任天堂であれば「ゼルダの伝説」や「MOTHER」のように完成度を発売を高めるためには1年どころか2〜3年の発売日の延期もやむなしとしてきたはず。

この、もうちょっとだけ作りも込めば完全なものが出来たはずなのに、それをせずに中途半端なものを市場に出してしまった「ポケモンスタジアム」事件は、個人的に任天堂最大の黒歴史だったとさえ、今でも思っています。


任天堂は、こんな中途半端なソフト、出しちゃいけない。


一説によると、残りのポケモンを発売予定だった64DDの追加ソフトで補完する予定だったのだとか。


ポケモンスタジアムが売れて、残りのポケモンも使えるようになる64DDの発売に加速をつけたい!


みたいな狙いもあったのかもしれませんが、そもそも64DDがまともな形で発売されなかったことは置いておいて、この方式だと残りのポケモンを使えるようにするには、ハードをもう一台購入するに等しい64DDを購入しないといけないわけで。

そう考えるとやっぱり、任天堂らしからぬ愚策であり、迷走の果ての極致であったなと思える事変でした。



・そして逆襲の98年末商戦へ。


なりふり構わぬ(ようにしか見えなかった)戦法に出たにも関わらず、伸び悩む64の売れ行き。


「ポケモンスタジアム」自体も当初はそこそこ売れたように覚えていますが、その内容が周知されたためか以降は失速し、ワゴンの住人にさえなっていたようにも覚えています。


対するプレイステーションは、多種多様なソフトを毎週のように発売し、国民機としての確固たる地位を確立。

安定して売り上げを伸ばしていました。


もう一方のハードメーカーであったセガは、この年の年末商戦機に新ハード、ドリームキャストの投入を発表。

自称128ビット機のこの新ハードは、間違いなく性能面で64を上回っており、ここで64は最大のアドバンテージであった性能面でも他機種の後塵を拝することになったのです。


もはや64、いや、任天堂もここまで。

状況の打破を期待された64DDも一向に発売される気配なく、64はこのまま静かに終焉していくのみ。

圧倒的な物量のプレステ陣営と、高性能ハードで打って出るセガ陣営を前にそう思われてもおかしくなかった1998年の年末商戦。



しかし、これで終われる任天堂ではない!



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まだだ、まだ終わらんよ!(2回目)


遂に、全64ユーザーが待ち焦がれたあのソフトが発売されます。


それこそが、「ゼルダの伝説 時のオカリナ」

ゼルダの伝説 時のオカリナ





延期に延期を重ねて世に出たこの「ゼルダの伝説」シリーズ最新作にして、初の3D作品。



半端ない作り込みがなされたこの商品は、とにかく売れた。

これまでの64ソフトでは、例を見ないほどの勢いで売れたのです。

ソフトだけではなく、ソフトと一緒に64本体がみるみる売れていきました。

僕の記憶が正しければ、この「時のオカリナ」発売週の他、この98年末商戦機において、64本体の売り上げがPSを上回ったことが何度かあったと思います。


そう、これこそが本来ハードが売れる、あるべき姿。

遊びたいソフトがあるからこそ本体は売れるもの。

この、限りなく作り込まれた超大作にして大傑作の「ゼルダの伝説 時のオカリナ」をもって遂にニンテンドウ64というハードは息をふきかえしたと言えるでしょう。


更にこの年末、これまでの迷走っぷりがウソのように任天堂はソフト攻勢に打ってでます。


バンジョーとカズーイの大冒険」、「ピカチュウげんきでちゅう」、「マリオパーティ」と、良質なソフトを発売(個人的にはここに「F-1ワールドグランプリ」が加わります)、「ゼルダ」で加速した勢いを止めることなく、年末商戦機を駆け抜けたのです。


そして明けた1999年1月にはあの大ヒットシリーズの第1作、「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」が発売。


ニンテンドウオールスター! 大乱闘 スマッシュブラザーズ




前年の「ヨッシーストーリー」の悪夢が嘘のように、64が爆発的な売れ行きを見せたこの年の年末年始商戦。


しかし、振り返ればこの98年から99年にかけての商戦機こそが、ニンテンドウ64というハードにとっての最大にして最後の輝いた期間だったのかもしれません。



・そして至高のハードになりしニンテンドウ64


最後の、と言っても別にこのあと再び失速して売れないハードに逆戻りしたわけではありません。

64はこのあと安定期に入り、ソフトもハードも普通に売れるようにはなっていきました。


ポケモンスナップ」や「ドンキーコング64」、「カスタムロボ」など良質なソフトが次々と発売されて人気を博しました。


個人的にも「ゼルダの伝説ムジュラの仮面」をはじめとして、「罪と罰 地球の継承者」、「悪魔城ドラキュラ黙示録」、「オウガバトル64」、「PERFECT DARK」と、様々なソフトをその後楽しませていただきました。


不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!


不思議のダンジョン 風来のシレン2 」なんて、マジで1,000回くらい遊んだかも。


それだけのタマを揃えた64ではありましたが、とうとうPSからシェアを奪回するまでには至らず、それどころか日本ではセガサターンの販売台数にさえ届かないまま、その役目を終えることになるのです。


かつてのトップシェアを誇ったスーパーファミコンの後を継ぎながら、業界3位の座に甘んじたN64は失敗したハードだったのでしょうか?


販売面やシェア争いの面で言えば、失敗だったのかもしれません。


ですが、現在Switchで大ヒットしている「スマブラ」や「どうぶつの森」の第一作は64で出ています。


どうぶつの森 コントローラパック同梱




「マリオパーティ」も、「マリオテニス」も、「マリオゴルフ」だって、64で出たのが最初でした。

そう考えると、現在のSwitchの人気に繋がるシリーズを生み出したというのは、歴史的な意義を考えると、成功であったと言えるのではないでしょうか。


ま、戦略だとかシェアだとか、堅苦しく言うよりも、個人的にはとても楽しませてもらったハード。

ファミコンからNintendo Switch までの、あらゆる任天堂ハードの中でも1番好きだったハードかもしれません。


まぁファミコン、スーパーファミコンも同じくらい好きなハードではありましたが、この2機種には基本的に安心感のみで、64のようなやきもきした気持ちになって文句つけるようなことはありませんでした。


次世代機であるゲームキューブもいいハードでしたけどね、64におけるマリオ64やゼルダをはじめとしたソフトに見られた鬼の作り込みがどうも見られなくなった気がするのです。


いいものを作りたい!売りたい!という気概ゆえに泥にまみれながら迷走さえもした64のハードとソフト。

対してゲームキューブというハードとソフトについては、どうにもフットワークが軽くなったと言うか…


もちろん面白い良作ばかりなんですけど、そこに情念というか重みが失われてしまった気がするんですよねぇ。


鬼となって情念を注ぎ込まれた64は、言わば“獣の槍”のようなハードだったのかもしれませんね。

作り手も、遊び手も選んでしまうような特異な機械。

この例え、わかるかなぁ。


その後のWiiに関しては、ハードの設計思想も手伝ってキューブ以上に軽さが際立っているような気がします。

対して更にその後のWiiUはなんだか64に通じるものを感じるのですけどね…


Switchもいいハードだとは思うのですが、やっぱり64に見られた悲壮感や重苦しささえ感じる情念のようなものは感じられません。

まぁSwitchは据え置きとしても携帯機としても、大人から子供まで誰でもライトに楽しめるハードですしね。

だからこそ万人に受け入れられ、大ヒットしているとは思うのですが


今回はニンテンドウ64というハードの思い出を前後編に渡って綴ってきました。


独特の空気を纏ったニンテンドウ64というハード。

好きだったからこそ、当時にハード売るために行われていた、首を傾げたくなるような販売方法に対して感じていた苦言を色々と書き連ねましたが、今はもう文句などあるはずもありません。

楽しく、本当に楽しく遊ばせていただきました。


ありがとう、ニンテンドウ64!


あ、いや、後1つだけ、最後にして最大の大問題があった。


それは、翌年に次世代器ゲームキューブの発売が決まっており、N64というハードの終焉に差し掛かっていた2000年8月22日。


聞きたくなかった、知りたくなかったニュースが発表されました。


64での発売が予定されていた「MOTHER3豚王の最期」の発売、及び開発の中止を発表!




いやぁ最後の最後で、最大の楽しみだったソフトの発売中止を聞かされるハメになるとは。


この場ではこんなに軽く書いてはいますけども、当時はマジにショックで寝込んでしまうんじゃないかと思うぐらいに落ち込みましたからね!


本当に、最後の最後まで、やってくれちゃったなぁニンテンドウ64。


だからこそ忘れられない、思い入れの深いハードなのでしょうけど。


あ、ちなみに64DDについては購入しなかったので今回は省きました。

発売までは様々に思いを巡らせていたので、いずれ別記事で書くかもしれません。


前回から引き続いて長々と書いてきましたが、いかがだったでしょうか。

最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。


今回はこの辺で。


いつかまたここで会いましょう。


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それでは、ニンテンドウ64というハードが輝いていた当時を思い出しながら、この場を去るとしましょう。


さあ、そしてそろそろSwitch2、ゲットだぜ‼︎



と、言いたい…