
どんな思い出であっても若かりし頃の思い出は、今にして思えば甘酸っぱくて、こっ恥ずかしいもんですよね?
どーも、たけGです。
本日、5月27日はファミコン「ドラゴンクエスト」の発売日!
僕のRPG好きは振り返ると、はじまりはやっぱりこの「ドラゴンクエスト」(以下、「ドラクエ1」)からになるかな。
初めて遊んだRPGとなると、弟が友達から借りてきたファミコンの「ハイドライド・スペシャル」が最初だと思うのですが、あの頃の僕は何がなんだか全然わからずにクリアどころか序盤も序盤で投げてしまった記憶があります。
なので初めて“ちゃんと”遊んだRPGと言えば「ドラクエ1」が最初ですね。
(「ゼルダの伝説」はアクションアドベンチャー)
実は「ドラクエ1」についても、自分で買ったわけではなく最初は友人から借りて遊びました。
「ドラクエ1」も、「ハイドライド・スペシャル」と同様、最初は何がなんだかわからなかったように覚えてます。
裸ソフトで借りたので、説明書は無かったような気がしますねぇ。
ですが「ハイドライド」と違ってゲーム内のメッセージが日本語だったのと、街の住民に話すことや武器や防具を購入したら装備しなければいけないことなど、基本的なことを親切丁寧に教えてくれることで、ゲームに没頭するための誘導がしっかりと用意されていたことで、遊んでいくうちに少しずつ理解していくことが出来ていきました。
突然放り出されてわけもわからないままスタートするしかないゲームが多かった当時、ゲームを遊ぶ全ての人のことを考えて、スタート時の掴みを用意されていたことはとても画期的だったんじゃないかな。
「ゼルダの伝説」だっていきなりフィールドの真ん中からスタートですし。
あの頃のゲームの中では親切が行き渡っていたゲームだと思います。
ちなみに、ファミコン版の「ドラクエ1」を今現在に改めて遊ぶと、親切丁寧なゲームだとはとても言えないかも知れない。
まず、主人公である勇者は前へ歩いても後方へ動いても、左右へ向かって歩いても常に正面を向いてます。
勇者はどこへ移動するにも常に正面を向いたままのカニ歩き。
街の住民へ横から話しかけても勇者も住人もどちらとも正面向いたまま会話をかわします。
恥ずかしがり屋さんなのか、正面に気になるものでも存在しているのか。
なんてことではなく、容量の限界から来るシステム上の都合だったのですね。
ですが、それだけではありません。
常に正面向いているので、住民と話す時には「はなす」コマンドを選んだあとで、東西南北から話しかける方向を「きた」「ひがし」「みなみ」「にし」から更に選ばないといけなかったのです。
ボタン一発で話しかけることが出来るのが当たり前の現在からは信じられないでしょう?
他にも、階段を降りる時には階段の上に乗って「かいだん」のコマンド、扉の前では「とびら」のコマンド、何か調べたい時には「しらべる」のコマンド、宝箱のアイテムを取るときには宝箱の上で「とる」のコマンドを選ぶことが必要だったのです。
なんと面倒くさく、ストレスが溜まりそうなインターフェイス。
今の時代に遊んだら、クソゲー認定間違いなしではないでしょうか。
さらにはゲームの進行を記録するための長ったらしいパスワード、「ふっかつのじゅもん」を書き留めなければならず、再開するためには一語一句間違えずに入力しなければいけません。
(後に発売される「ドラクエⅡ」よりは全然マシですが)
もちろん、後に発売されたリメイク作では時代に合わせてシステムも改善されており、記録もセーブ方式に。
多分、思い出補正が手伝っても、この初代ファミコン版を遊ぶという選択はオススメ出来ず、遊ぶならスーファミ版以降のリメイク作を遊ぶことをオススメします。
今ならPS4やSwitchに3DS、スマホでも遊べますしね。
あの頃のゲームの中では親切が行き渡っていたゲームだと思います。
ちなみに、ファミコン版の「ドラクエ1」を今現在に改めて遊ぶと、親切丁寧なゲームだとはとても言えないかも知れない。
まず、主人公である勇者は前へ歩いても後方へ動いても、左右へ向かって歩いても常に正面を向いてます。
勇者はどこへ移動するにも常に正面を向いたままのカニ歩き。
街の住民へ横から話しかけても勇者も住人もどちらとも正面向いたまま会話をかわします。
恥ずかしがり屋さんなのか、正面に気になるものでも存在しているのか。
なんてことではなく、容量の限界から来るシステム上の都合だったのですね。
ですが、それだけではありません。
常に正面向いているので、住民と話す時には「はなす」コマンドを選んだあとで、東西南北から話しかける方向を「きた」「ひがし」「みなみ」「にし」から更に選ばないといけなかったのです。
ボタン一発で話しかけることが出来るのが当たり前の現在からは信じられないでしょう?
他にも、階段を降りる時には階段の上に乗って「かいだん」のコマンド、扉の前では「とびら」のコマンド、何か調べたい時には「しらべる」のコマンド、宝箱のアイテムを取るときには宝箱の上で「とる」のコマンドを選ぶことが必要だったのです。
なんと面倒くさく、ストレスが溜まりそうなインターフェイス。
今の時代に遊んだら、クソゲー認定間違いなしではないでしょうか。
さらにはゲームの進行を記録するための長ったらしいパスワード、「ふっかつのじゅもん」を書き留めなければならず、再開するためには一語一句間違えずに入力しなければいけません。
(後に発売される「ドラクエⅡ」よりは全然マシですが)
もちろん、後に発売されたリメイク作では時代に合わせてシステムも改善されており、記録もセーブ方式に。
多分、思い出補正が手伝っても、この初代ファミコン版を遊ぶという選択はオススメ出来ず、遊ぶならスーファミ版以降のリメイク作を遊ぶことをオススメします。
今ならPS4やSwitchに3DS、スマホでも遊べますしね。
それでも、発売された当時はこれが良かったんですよ。
「スーパーマリオブラザーズ」に代表されるアクションゲームしか持っていなかった時に、この「ドラクエ1」や「ポートピア連続殺人事件」といったコマンド選択式のゲームはとても新鮮でした。
何より、パソコンを持っていたちょっとお金持ちの友人の家で見せてもらったPCゲームのRPGやアドベンチャーゲームに羨望の眼差しを送っていたパソコンを持っていない僕からすれば、「ドラクエ1」や「ポートピア」は“友人の家で見たパソコンのゲームっぽい”憧れのゲームだったのです。
ウインドウを開いて、コマンドを選択する。この、面倒くさい行為が、当時の僕にはなんか凄いことやってる感がありました。
友人の家で見たパソコンゲーム、多分「夢幻の心臓」「スターアーサー伝説」辺りだったと思うのですが、それを見て、少し遊ばせてもらって、感動し、憧れていた僕にとって、自分の家のファミコンで同じ(ような)ことが出来ることに、えらく感動したわけですよ。
その後、「ドラクエⅡ」から「ファイナルファンタジー 」など新作RPGが出るごとにコマンド式ゲームのインターフェイスは洗練されてゆき、ひとつひとつのコマンドを選択するという行為が、別に凄いことやってるワケではなく、ただ面倒くさいということに気づくまで、あまり時間はかかりませんでしたが…
それでも、当時の感動は本物だったとは今でも思うのです。
当時だったからこその感動と言うべきか。
初めて自分だけのコマンド選択式RPGに触れて遊び、それをクリアした感動。
エンディングのスタッフロールを初めて見て、「映画みたいだ!」と感動し、後日に友達と鑑賞会を開いたこともありました。
“ぎんのたてごと” “たいようのいし” “あまぐものつえ” “にじのしずく”といったアイテムのひとつひとつが、文字のみで表示されているだけなのに、妙に神々しく見えたものです。
それはやはり、パソコンを持っていなかった自分にとって、紛れもない未知との遭遇だったからなのかもしれません。
あの頃に比べてゲームのグラフィックや表現力は遥かに上がり、進化の度に驚かされることもまだまだ多いですが、あの時に感じた未知のものへの衝撃を味わうような経験は、恐らくは2度とないかもしれないと思うと少し寂しくもあります。
実写と変わらないグラフィックや、新しいシステムを搭載したゲームを遊んで、「凄い!」とは感じても、あの時のような未知との遭遇的な衝撃を長く感じることが出来ていませんから。
さて、そろそろ本題。
「ドラクエ1」と言えば、ローラ姫を抱えたまま宿屋に泊まると、宿屋のセリフが微妙に変わるのが有名ですよね。
「ドラクエ1」を初めて遊んだ当時の僕は中学生。
そのころの僕は隣に住んでいる幼馴染みの女子と一緒に登下校したり、男女6人の仲良しグループで土日にお洒落なカフェでお茶したりなんて日々を過ごす…
なんてことは全然ありませんでした、
女子と接する機会は学校の中に限られていて挨拶程度しか言葉を交わす機会もなく、女子との触れ合いという未知の領域に憧れていた悶々とした中学生でしたねぇ。
そんな悶々としていた中学生だった僕が、「ドラクエ1」で宿屋のセリフが微妙に変わったというだけで大興奮しつつ、当時は居間のテレビで遊んでたもんだから、後ろから母親に見られてやしないかドキドキもしてたもんです。
同年代の同じ境遇の男性諸氏なら、微笑ましいエピソードだと理解していただけないでしょうか。
ちなみに数年後に発売されたスーパーファミコン版でも、この要素は再現されておりました。
スーファミ版発売当時の僕は大学生となり成人式も迎えていたわけですが、一方で生まれた年からの彼女いない歴を絶賛更新中の身であり、相変わらず女性と接する機会の少ない悶々とした日々を送っていましたっけ。
そして、ファミコン版の「ドラクエⅠ」ではローラ姫を救出後にエンディングを迎えるまで王様の元へ返さなくともゲームをクリア出来るのですが、その事実をクリアして友人に返却したあとに知って非常に悔やんだものです。
だからこそ、そのスーファミ版ではドラゴンからローラ姫を救出したあと、最後まで姫を抱えたまま敵と戦い抜き、宿屋に泊まる度に「今夜も朝まで○○まくりだー!」と妄想プレイで姫と戦いヌイてました。
宿屋に泊まるたびに、宿屋の主人から言われる言葉にドキドキしながら。
同年代の同じ境遇の男性諸氏なら、微笑ましいエピソードだと理解…出来ませんか?
まあ、女性と初めてお付き合いするのも遅かった男性ならではのエピソードということで…
今回はファミコン「ドラゴンクエスト」の思い出語りでした。
なんだか一点に集中した思い出語りだったような気もしますが。
まぁ同世代の男性諸氏ならファミコンやスーパーファミコンの「ドラクエ1」を遊んだ時に同じような体験をした人も多いのでは?
してますよね?
ローラ姫抱っこしたままエンディングまでプレイ。
「ドラクエⅠ」はその後、ゲームボーイやWii、3DSやスマホアプリなどでも発売され、今ではSwitchやPS4でも遊べます。
いろんな世代の男性諸氏もその時代時代で遊ばれていると思います。
そして皆さんも世代は違えど遊ばれてきていることでしょう。
ローラ姫抱っこしたまま宿屋に泊まり続けるプレイ。
そして、
ローラ姫を抱っこしたまま宿屋に泊まっては、いろんな妄想し続けるプレイ。
なんだかプレイプレイ書いてたら、プレイの意味がゲームのプレイではなく別の意味でのプレイになってきてるような気がしますが。
今や結婚もして、それなりに女性とも接する機会もあった人生を送ってきて、年齢もいいおっさんになっているはずの僕ですが、数年前にプレイしたスマホアプリ版の「ドラクエ1」でも、救出したローラ姫を王様に返さずに最後まで宿屋でのお楽しみを繰り返していたような…
これは単に、僕が中学生の頃から全く変わっていない、変態属性の持ち主ということなのでしょうか?

こ、今回はこの辺で。
いつかまたここで会いましょう。
それでは…
昨夜はお楽しみでしたね。
「スーパーマリオブラザーズ」に代表されるアクションゲームしか持っていなかった時に、この「ドラクエ1」や「ポートピア連続殺人事件」といったコマンド選択式のゲームはとても新鮮でした。
何より、パソコンを持っていたちょっとお金持ちの友人の家で見せてもらったPCゲームのRPGやアドベンチャーゲームに羨望の眼差しを送っていたパソコンを持っていない僕からすれば、「ドラクエ1」や「ポートピア」は“友人の家で見たパソコンのゲームっぽい”憧れのゲームだったのです。
ウインドウを開いて、コマンドを選択する。この、面倒くさい行為が、当時の僕にはなんか凄いことやってる感がありました。
友人の家で見たパソコンゲーム、多分「夢幻の心臓」「スターアーサー伝説」辺りだったと思うのですが、それを見て、少し遊ばせてもらって、感動し、憧れていた僕にとって、自分の家のファミコンで同じ(ような)ことが出来ることに、えらく感動したわけですよ。
その後、「ドラクエⅡ」から「ファイナルファンタジー 」など新作RPGが出るごとにコマンド式ゲームのインターフェイスは洗練されてゆき、ひとつひとつのコマンドを選択するという行為が、別に凄いことやってるワケではなく、ただ面倒くさいということに気づくまで、あまり時間はかかりませんでしたが…
それでも、当時の感動は本物だったとは今でも思うのです。
当時だったからこその感動と言うべきか。
初めて自分だけのコマンド選択式RPGに触れて遊び、それをクリアした感動。
エンディングのスタッフロールを初めて見て、「映画みたいだ!」と感動し、後日に友達と鑑賞会を開いたこともありました。
“ぎんのたてごと” “たいようのいし” “あまぐものつえ” “にじのしずく”といったアイテムのひとつひとつが、文字のみで表示されているだけなのに、妙に神々しく見えたものです。
それはやはり、パソコンを持っていなかった自分にとって、紛れもない未知との遭遇だったからなのかもしれません。
あの頃に比べてゲームのグラフィックや表現力は遥かに上がり、進化の度に驚かされることもまだまだ多いですが、あの時に感じた未知のものへの衝撃を味わうような経験は、恐らくは2度とないかもしれないと思うと少し寂しくもあります。
実写と変わらないグラフィックや、新しいシステムを搭載したゲームを遊んで、「凄い!」とは感じても、あの時のような未知との遭遇的な衝撃を長く感じることが出来ていませんから。
さて、そろそろ本題。
「ドラクエ1」と言えば、ローラ姫を抱えたまま宿屋に泊まると、宿屋のセリフが微妙に変わるのが有名ですよね。
「ドラクエ1」を初めて遊んだ当時の僕は中学生。
そのころの僕は隣に住んでいる幼馴染みの女子と一緒に登下校したり、男女6人の仲良しグループで土日にお洒落なカフェでお茶したりなんて日々を過ごす…
なんてことは全然ありませんでした、
女子と接する機会は学校の中に限られていて挨拶程度しか言葉を交わす機会もなく、女子との触れ合いという未知の領域に憧れていた悶々とした中学生でしたねぇ。
そんな悶々としていた中学生だった僕が、「ドラクエ1」で宿屋のセリフが微妙に変わったというだけで大興奮しつつ、当時は居間のテレビで遊んでたもんだから、後ろから母親に見られてやしないかドキドキもしてたもんです。
同年代の同じ境遇の男性諸氏なら、微笑ましいエピソードだと理解していただけないでしょうか。
ちなみに数年後に発売されたスーパーファミコン版でも、この要素は再現されておりました。
スーファミ版発売当時の僕は大学生となり成人式も迎えていたわけですが、一方で生まれた年からの彼女いない歴を絶賛更新中の身であり、相変わらず女性と接する機会の少ない悶々とした日々を送っていましたっけ。
そして、ファミコン版の「ドラクエⅠ」ではローラ姫を救出後にエンディングを迎えるまで王様の元へ返さなくともゲームをクリア出来るのですが、その事実をクリアして友人に返却したあとに知って非常に悔やんだものです。
だからこそ、そのスーファミ版ではドラゴンからローラ姫を救出したあと、最後まで姫を抱えたまま敵と戦い抜き、宿屋に泊まる度に「今夜も朝まで○○まくりだー!」と妄想プレイで姫と戦いヌイてました。
宿屋に泊まるたびに、宿屋の主人から言われる言葉にドキドキしながら。
同年代の同じ境遇の男性諸氏なら、微笑ましいエピソードだと理解…出来ませんか?
まあ、女性と初めてお付き合いするのも遅かった男性ならではのエピソードということで…
今回はファミコン「ドラゴンクエスト」の思い出語りでした。
なんだか一点に集中した思い出語りだったような気もしますが。
まぁ同世代の男性諸氏ならファミコンやスーパーファミコンの「ドラクエ1」を遊んだ時に同じような体験をした人も多いのでは?
してますよね?
ローラ姫抱っこしたままエンディングまでプレイ。
「ドラクエⅠ」はその後、ゲームボーイやWii、3DSやスマホアプリなどでも発売され、今ではSwitchやPS4でも遊べます。
いろんな世代の男性諸氏もその時代時代で遊ばれていると思います。
そして皆さんも世代は違えど遊ばれてきていることでしょう。
ローラ姫抱っこしたまま宿屋に泊まり続けるプレイ。
そして、
ローラ姫を抱っこしたまま宿屋に泊まっては、いろんな妄想し続けるプレイ。
なんだかプレイプレイ書いてたら、プレイの意味がゲームのプレイではなく別の意味でのプレイになってきてるような気がしますが。
まぁ、純真な少年〜青年期の思い出だから、恥ずかしがるようなことはない話ですよね。
でも、あれ?
でも、あれ?
今や結婚もして、それなりに女性とも接する機会もあった人生を送ってきて、年齢もいいおっさんになっているはずの僕ですが、数年前にプレイしたスマホアプリ版の「ドラクエ1」でも、救出したローラ姫を王様に返さずに最後まで宿屋でのお楽しみを繰り返していたような…
これは単に、僕が中学生の頃から全く変わっていない、変態属性の持ち主ということなのでしょうか?

こ、今回はこの辺で。
いつかまたここで会いましょう。
それでは…
昨夜はお楽しみでしたね。
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