幻と終わってしまいそうな「天界編」。いや、惜しいと思うんですよ、ホント。
ああっと。
どーも、たけGです。
「聖闘士星矢 天界編 序奏〜overture〜」

原作派を唄い、アニメオリジナルを長いこと避けてきた僕が、今作に限って言えば実は3回目の視聴。
いや、返却するまでの見直しを含めると4〜5回目かも。
ファンの間では評価がイマイチで、車田御大からも「コレジャナカッタ」認定を受けているらしい作品ですが…
個人的には好きです。
いやホント、今からでも続きを作ってほしい。
アニメ版を毛嫌いしてほぼ見てこなかった僕が、この「天界編」を見ていた理由というのはですね。
今作が、原作者である車田御大が原案を提供し、その原案を基に製作された原作の続編にあたる作品だと聞いていたから。
劇場まで足を運ぶことはありませんでしたが、レンタル解禁になるのを待って視聴しました。
最初に見た時は流石に戸惑い、「なんぞこれ?」と、ツッコもうにもツッコめず、最後まで見た後で、そのまま最初から繰り返し見なおした記憶があります。
見なおしていくうちに、こういう「聖闘士星矢」も悪くはないかな、と思うようになりました。
っていうか好きになりましたねぇ。
もし第2弾が作られたら、劇場まで足を運んで観に行ってもいいかなとも思いましたから。
ですが、第2弾は作られることがありませんでした。
それは、本作に対するファンの評価が低く原案を提供した車田御大までが、「思っていたものと違った」と言ってしまったのもあるでしょう。
原作者自ら黒歴史の太鼓判を押しちゃったわけです。
(1番の理由は興行成績がふるわなかった事だと思いますが)
わかりますよ?
この作品のファン評価が低い理由。
車田先生が「ダメだこりゃ」と言う以前に、この「天界編 序奏」は、はっきり言って、ぽくないんです。
「聖闘士星矢」っぽくない天界編 序奏〜overture〜
そう、
「聖闘士星矢」っぽくないんです。
車田先生なら絶対に描かない(描けない?)であろう世界観。
「聖闘士星矢」という作品は、言わば“動”の作品。
激しいロックのような鼓動が打ち鳴らされる中で無駄に語らず、飾らず、勢いのみで成立する世界。
他のマンガ家さんならあり得ない世界かもしれません。
(同じことが許されるのは宮下あきら先生くらいかも)
ですがバトル、熱血、そして熱い友情がどどんと押し寄せてくるスピーディかつパワフルな展開こそが「聖闘士星矢」の醍醐味でした。
ところが今作「天界編 序奏」は、むしろ“静”の作品。
静かな旋律が奏でられる中、淡々と物語が紡がれていきます。
いや、「星矢」らしく激しいアクションシーンはもちろんあるのですが、目を引くのは1つ1つの場面における“間”の存在。
「聖闘士星矢」と言う作品の命とも言うべきテンポの良さを殺しさえしているんです。
スピーディかつパワフルな展開は従来作ほどに見られません。
バトルよりもドラマ重視と言いますか。
確かにこれは、車田先生なら絶対に描かないであろう世界観。
でも僕は、この静かな旋律の中で奏でられる「聖闘士星矢」が実に好きになりました。
むしろこういう世界観で描かれる「聖闘士星矢」があってもいいじゃない。
原作とも違う、かつてのアニメ版のノリとも違う、全く新しい視点で描かれた「聖闘士星矢」
大人が見る「聖闘士星矢」ってとこでしょうか。
「聖闘士星矢」という作品の、新たな可能性を感じたのですが…
結局、多くのファンに受け入れられずにこの作品は黒歴史となり、終着点を見出すことなく忘れられてしまいました。
「天界編 序奏〜overture〜」の好きなところ。
その後、車田先生自ら執筆している「聖闘士星矢NEXT DIMENTION冥王神話」において、「天界編」のキャラや設定が盛り込まれました。
(この「ND冥王神話」での斗馬登場時に、もう一度「天界編 序奏」を見たくなって、数年ぶりにレンタルしたんだよなぁ)
だけど、斗馬のキャラクターもアニメとは全然違うし、アルテミスも神の道から外れてしまった妹のアテナを憂い、涙するなど、アニメ版とはやっぱり違う。
車田先生が描く斗馬やアルテミスなどの天界編設定には先生にしか描けない良さもありますが、先生が描かないようなアニメ版の設定もが好きなんですよね。
かつてのテレビアニメ版の時とは逆の心情なんです。
自ら神になることを求め、神に近づくために人としての感情を捨て力を欲し、多くの神を打ち倒してきた星矢と戦うことで(実際に星矢が直接倒した神様って、実はタナトスだけなのですが)、神をも超える力を手に入れようとした天闘士イカロスとしての斗馬。
しかし姉の魔鈴と再会したことで、自身が力を求めた根源は姉を守りたかったことだということを思い出し、人としての感情が残っていたことを悟る。
太陽を求め空へ飛び立ち、太陽の光と熱でもって翼を焼かれて地上へ落ちた(戻った)ギリシア神話のイカロスを反映させたかのようなキャラ設定は、これまでのどのアニメオリジナルキャラよりもいいなぁと感じました。
姉である魔鈴との物語や、何やら匂わせだけだった女神アルテミスとの秘めた関係などの決着もまだまだ見られてないので、イカロス斗馬の物語の完結も見たかったところです。
それでも違和感はある。
まぁ擁護しながらも、車田先生や熱心なファンの方々が「コレジャナイ」というのもわからなくもないんですけどね。
星矢とアテナ沙織の2人に焦点が当てられてしまって、他のキャラ、紫龍、瞬、氷河、一輝の見せ場は戦いの場面のみ。
紫龍と氷河はいきなりやられてるところからの登場だし。
兄さんとの共闘とは言え、瞬が劇場版でようやく勝利できたのはいいポイントだけれども。
アテナが神の座を降りて地上をアルテミスへ譲る、その決意に対する心の揺らぎや葛藤を少しは描いて欲しかったと思います。
まぁこの辺は尺の問題が大きいとは思いますが、同じ劇場版の「真紅の少年伝説」はその辺がしっかりと描かれてましたよね。
星矢が沙織に対して盲目すぎることにもちょっと違和感大きいし、沙織だって星矢たち聖闘士のためとは言え、あっさりとアルテミスに地上を譲るのもちょっと解せない。
地上はどうなってもいいから星矢たちは許してほしいと言っているようなものです。
アテナなら自分の命を投げ打ってでも神々の決定に反して人間のため、地上のために戦うのではないのでしょうか。
星矢だって「沙織さんが言うのなら、俺は死んでもいい」なんて言うのもどうかと。
あと、もともと沙織に対して盲目的な想いを寄せていた邪武があっさりとアルテミスに従っていたのもなぁ。
この辺の、かつてのアニメ版とは別ベクトルのあり得なさ加減が、車田先生から「コレジャナイ」と言われてしまうことになったのかもしれません。
もしかしたら、この時点でのアテナの真意や、アルテミスに従ったシャイナや邪武の思うところも以降のシリーズで語られていたのかもしれませんが、打ち切り同然に終わってしまっているので、うやむやのまま終わりということでしょうね。
今回のまとめ
今回はアニメ版の「聖闘士星矢」の劇場版振り返り感想後編、「天界編 序奏〜overture〜」についてでした。
今回、久しぶりに見てみたわけですが、やっぱり、惜しいよなあ。
個人的に好きというのもありますが、大きな可能性を秘めた作品ではあったと思うんですけど。
原作とはまた別の、アニメオリジナルの天界編として最後まで描ききってほしかったもんです。
劇場版公開当時の興行成績もイマイチだったようで、劇場作品としての展開は望めなかったかもしれませんが、OVAやネット配信等で継続して欲しかったですねぇ。
その後のアニメオリジナルの展開は、「聖闘士星矢Ω」(これもちゃんと見たわけではないので偉そうには語れませんが)や、「黄金魂」などの原作後の世界を舞台にしたアニメオリジナル作品を見る限り、「天界編 序奏」に連なるものではなく、かつてのアーレス教皇やヒルダ様がはっちゃけてたアニメ版の系譜になってしまっているようです。
あとは瞬くんが女性になってしまっているような謎の原作再構築とか、キャラデザや世界観がまるっきり変わってしまったような劇場版とか、なんだか迷走してますよね。

いや、これはこれで本当に嫌いではないのですが。
そして、原作の「ND冥王神話」で「天界編」設定が盛り込まれたことによって、原作でもアニメでも、今作「天界編 序奏」が無かったことにされてしまっているのが本当に悲しい限り。
せめてアニメオリジナルのパラレルということでもいいので、OVAや配信アニメなどで、この「天界編 序奏」の続きを、そして完結を見てみたいなと願ってもいるのです。
それか、「LC冥王神話」の手代木史織先生にアニメ版「天界編」の続きを描いていただくというのもいいなぁ。
とか妄想していたら、車田先生自らの執筆による天界編が始まる事が決定しました!
もはや劇場版の続きは、叶わぬ夢か…

信じてつらぬけば現実のものになりませんかね?
今回はこの辺で。
いつかまたここで会いましょう。
アニメ版「聖闘士星矢」をしっかりと見てみようシリーズは、ここで一旦終了です。
今後、「聖闘士星矢Ω」を見る日が来たら、また執筆する日が来るかもしれません。
それでは・・・
君は小宇宙を感じた事があるか!


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