さあテレビアニメ版聖闘士星矢レビューラスト、行っちゃいますよ!
ポセイドン編!
おっと、
どーも、たけGです。
ポセイドン編総括
ある意味、原作に1番忠実なポセイドン編。
アニメ版「聖闘士星矢」、聖域十二宮編を経てアスガルド編を見た後で、テレビアニメシリーズ最終章となるポセイドン編までしっかりと見たわけですが…
正直、あまり語ることがない。

だって、アニメ版最大の魅力(?)とも言えるオリジナル要素が少ないからですかね。
あと、打ち切りが決まっていたためか原作エピソードも後半になるとえらい駆け足展開で尺を縮めてるので、余計なエピソードをはさむ余裕もない。
十二宮編における人馬宮やカノン島のエピソードのような見るに耐えないものを挟まれても困りますけども。
アニメ独自のトンデモ面白展開が見られないのはそれはそれで寂しいもんです。
アーレス教皇やヒルダ様のような悪の大幹部の見本のようなキャラや。
ドクラテスやパエトン参謀長、あるいはメグレスのアルベリッヒのような脇を固める面白キャラ。
クリスタルセイント先生やアルビオレ先生みたいに原作設定をおかしくしてしまうようなキャラ。
彼らのようなオリキャラが全く見られなくなるのもまた寂しい。
悪名高き鋼鉄聖闘士だって、アスガルド編以降(っていうか十二宮突入直前から)無かったことにされているのもまた悲しい。
かつてはオリジナル要素を毛嫌いしていた僕も、ずいぶん変わったもんだ。
人は変わっていくものでしょう?
それだけアニメ版聖闘士星矢の中で、もっとも原作を忠実に再現しているとも言えるポセイドン編ですが、それでもやっぱりおかしなところはいくつか見られます。
アニメ版のポセイドン編はアスガルド編から直接繋がっており、アテナがポセイドン神殿に行く流れが変わっています。
アルデバランがソレントに敗れる展開が省かれたりしていますが、そこは話の展開ゆえなので、特におかしなとこはなく自然な流れになってます。
(その代わりに神闘士のシドバド兄弟にやられたことになってるのがやっぱり悲しいですが)
おかしなことになっているところはやっぱり、おかしなことだらけだったアニメ版十二宮編のから連なる設定改変による要素ですねぇ。
ポセイドン編でもやっぱり受難なキグナス氷河
まずはやっぱりアニメ版最大の被害者とも言える、キグナス氷河さん。
アニメ版においてのキグナス氷河さんには、クリスタルセイントというアニメオリジナルの師匠が登場しておりました。
そこに原作における師匠のカミュが登場した時点でおかしなことになっているのは十二宮編での記事に書いたとおり。
そこでまず、原作でのポセイドン編での氷河さんを振り返りますと。
心の狩人リュムナデスのカーサとの戦いにおいて、氷河は心の中でもっとも神聖な存在としている師カミュの姿を見て投影され、敗北を喫しましたね。
まぁそりゃ当然。
幼少の頃から7年間、厳しくとも優しく指導してくれたカミュは、父親の愛を知らない氷河にとっては師匠である以上に父親であり、兄のような存在であったことでしょう。
で、それを踏まえてアニメ版。
アニメ版でも原作通りに氷河はまず南氷洋の柱へ。
そこで氷河の前に現れる、カーサが氷河の心の中を投影した人物は?
原作通りにカミュが出るのでしょうか?
いやいやいや。
アニメでも原作通りに氷河を絶対零度の域にまで導いたのはカミュですが、カミュは十二宮の戦いで初めて会った人物で、我が師クリスタルセイント先生の師。
氷河が言うところの我が師の師は我が師も同然なお方。
尊敬する人物であるのは間違いなく、命をかけて氷河を導いてくれた恩義もあるでしょう。
ですがアニメ版の氷河にとっては1日しか面識がない相手。
アニメ版の我が師、クリスタルセイント先生とは積み重ねてきた時間が違います。
やはり氷河にとっての真に尊敬すべき人物は、幼少の頃から7年間、厳しくとも優しく寄り添ってくれていたのはクリスタルセイント先生のはず。
父親の愛を知らない氷河にとって、父親であり、兄のような存在であったことでしょう。
対してカミュは、言うなれば父方の実家に帰省した際に出会った、おじいちゃんのような存在。
尊敬し、感謝の気持ちは大きいなれど、心の中での存在感は1日会っただけのカミュよりも7年間共に過ごしたクリスタルセイント先生の方が大きいはず。
となるとやっぱりね。
アニメ版でカーサが見抜いた氷河の大切な存在は、もちろん言わずもがなクリスタルセイント先生が出てくるはず!
一輝が心の奥底に封印していたエスメラルダの存在をも見抜いた心の狩人がそこを見逃すはず、ないですよ!
さぁ、アニメ版の氷河の前に現れた、真に大切な人物とはまさしく!

我が師の師は我が師も同然のカミューーー!
我が師の師が、我が師を超えとるーーー!
いや、氷河さん、アニメのあなたなら、そこはクリスタルセイント先生やろ!
いくらカミュが我が師の師は我が師も同然!で、命をかけてセブンセンシズまで導いてくれた恩人だとしてもですよ。
先に書いたように小さな頃から7年間の時間を共にし、真摯になって指導してきてくれたのはクリスタルセイント先生でしょう!
ですが、よくよく聞いていると、このカーサが化けたカミュに対して氷河は「我が師の師」ではなく、「我が師カミュ」と呼んでいます。
あああ、なるほど。
これはアレだな。
アスガルド編を経て、過去の黒歴史のようなクリスタルセイントの存在を無かったことにしようとしているのだな。
鋼鉄聖闘士の3人のように。
なんだか釈然とはしませんが、まぁそういうことかなと納得したまま、続くクラーケンのアイザック戦へ。
氷河のかつての兄弟弟子との再会、2人の修行時代の思い出には、当然カミュが出てくるかと思っていたら…

クリスタルセイント先生おるし!
アイザックもクリスタルセイント先生って、ちゃんと呼んでるし!
って、リュムナデスからアイザックの話までの流れを見るだけでは、クリスタルセイント先生のことを今の今まで忘れていた氷河が生きていたアイザックを見て慌てて思い出したようにも見えます。
氷河にとって、クリスタルセイント先生って、たったそれぐらいの存在なんですか?
そして更にこの後、アイザックとは面識がないはずのカミュがクリスタルセイント先生と一緒に出張ってきてアイザックを睨みつけるのです。

いや、氷河の心の中にいるにせよ、カミュもそこにはわざわざ出張ってこなくてもいいでしょうに。
そこはクリスタルセイント先生のお仕事です。
本当の師弟たちに任せておきなさい!
最後には、氷河が「これは我が師たちの制裁の拳だ!」と言ってオーロラエクスキューションをアイザックに放つのですけども。
そこもアイザックが面識がないカミュの技ではなく、アイザックの直接の先生であるクリスタルセイント直伝の「シベリア仕込みの足封じ技」を使うべきだったと思うんですけどね、氷河さん!

ま、そんなことしたら間違いなく、アイザックのオーロラボレアリスで返り討ちにあったことでしょうけど。
双子座の受難
そして、おかしなことになってしまったお方がもう1人。
それは、アスガルド編からポセイドン編の真の黒幕と思われる、七将軍のリーダー格であるシードラゴン、その正体は双子座の黄金聖闘士カノンさん。
カノンさんは原作と同様に最初は一輝と遭遇。
相対した海将軍シードラゴンを前に、感じたことのある巨大な小宇宙に戸惑う一輝へ繰り出される大技。

「ギャラクシアン・エクスプロージョン!」
これをまともに浴びた一輝。

「バカな!この技はあの男の!」
え?
…この技?この技って、兄さんこの技、どこで見たの?
原作読んできた人たちからすれば、サガが十二宮で売ってたやろ!と突っ込まれるかもしれませんが…
実はですね、テレビアニメ版聖闘士星矢において、
「ギャラクシアン・エクスプロージョン」
という技が披露されたのは実はこの瞬間が初めてなんです。
カノンの兄であるサガは、(アニメが原作に追いついてしまった事情で)アニメ版ではこの技、使ってないんです。
なので、一輝自身もこの技を見たのは初めてのはずなのに「この技は!」だなんて驚くのはおかしな話なわけで。
劇場版「真紅の少年伝説」ではサガがギャラクシアンエクスプロージョンを撃つシーンはあったと思いますが、あの映画を正史としたとしても、兄さんはその場に居合わせてなかったと思います。
なのでアニメ版の一輝にとっては、カノンが放ったこの技が初見であるはずなんですけどね。
そしてそのカノンさん自身についてもですね。
原作では己の罪を悔い改め、最後の最後にアテナを庇いポセイドンの三叉の矛をその身に受けました。
原作屈指の名シーンであり、かつ次のシリーズであるハーデス編でカノンが頼りある仲間になるための通過儀式みたいなものでした。
さて、これがポセイドン編で(いったんは)完結することが決まっていたアニメ版ではどうなっていたかと言いますと。

アニメ版ではカノンの見せ場であったその役目を、星矢が担っちゃいました。
それでは当のカノンさんは?
どこで何をしてたかと言いますと。

自身が守護していた北大西洋の柱跡地から動いておらず、「ポセイドンの小宇宙が消えた…」
一輝とソレントから軽蔑の言葉をかけられた後も、事の推移を傍観していただけで改心したような場面もなし!
それでいいの?
これで良かったのカノンさん。
この後のOVAでのハーデス編で、どのツラ下げて十二宮へ参戦したのですか?
ミロからアンタレス、打ち込まれちゃいますよ。
かなりガッカリなエンディングに。
あとはやっぱり、打ち切りが決まっていたが故の後半の駆け込み詰め込み展開ですかね。
アスガルド編の長さやクドさが嘘のように、トントン拍子で話が進みます。
おかげで原作の「聖闘士星矢」におけるベストエピローグとも言える、
「蒼き波濤の果て」
このエピソードがしっかりと描かれず、ここがかなりの残念な点でした。
ジュリアンとソレントのその後も描かれず、何よりジュリアンとテティスのエピソードも一切なし!
浜辺に横たわるジュリアンと、波間を跳ねる人魚らしき姿が描かれているだけ。

幼少の頃からのジュリアンとテティスのエピソード、そしてソレントも合わせた最後の別れのシーン。
アニメでしっかりと描いて欲しかったなぁと思います。
原作でのポセイドン編のエピローグは、物語のエンディングを描くことが正直言ってあまりお得意ではなさそうな車田先生の作品において、「リングにかけろ1」のラストと並んで、丁寧にしっかりと描かれた貴重な良エピローグだったと思うんですよ。
(あとは大体打ち切りか、詰め込みエンドばかり)
だからせめて1話丸々使うぐらいにしっかりと描いてほしかった!

だけど原作では見られない、シャイナさんの貴重な私服姿が見られたのは良し!
アスガルド編の印象が「長い」だとすれば、アニメ版ポセイドン編の印象は「短い」、そして「早い」につきるでしょう。
もともとの原作のポセイドン編が十二宮編とハーデス編に挟まれた、つなぎ回のようなものでもありますが、アスガルド編の半分でもいいんで、もう少し丁寧にしっかりと再現して欲しかったなぁという思いがあります。
ま、打ち切りが早々と決まったようなので仕方がないことだったのでしょうね。
今回のまとめ
今回はアニメ版聖闘士星矢と一度しっかり向き合ってみようシリーズのポセイドン編でした。
かくして十二宮編から通して昭和の時代を駆け抜けた、テレビアニメ版の「聖闘士星矢」の全エピソードをしっかりと見ることができました。
かつては嫌いでしょうがなかったアニメオリジナルの要素の方に、愛着を感じたのは不思議なもんです。
むしろ、これだけ原作無視のオリジナル展開を盛り込んでいるんだから、最後までオリジナル要素を重視して突っ走って欲しかったですねアニメ版。
それが変に原作と整合しようとするもんだから、余計におかしなことになっちゃってるんですよ。
それでも、このアニメ版の要素が時を経て、新作アニメの「聖闘士星矢Ω」や「黄金魂」に引き継がれているのを見るとですね。
ぶっちゃけ、原作以上にしっかりとそのアニメ版独自の世界の系譜が繋がっていっているように思えます。
声優交代劇が物議を醸したらしい「ハーデス編」のアニメ版もまだ見たことがないんで、機会があればしっかりと見てみようと思います。
(評判見る限り、声優問題よりも『紙芝居』というキーワードが気になるのですが…)
まぁOVAなんで、ポセイドン編以上に原作に忠実に作られているだろうから、オリジナルの要素はあんまり期待できないかもしれないですけどね。
あ、あと「聖闘士星矢Ω」も機会があったら、ちゃんと見てみたいなぁ。
日曜の朝やってたんで、ちゃんと見れなかったんですよねえ。
十二宮編の「その1」から通して、こんな、アスガルド編以上に長くてグダグダな記事を通して最後まで読んでくださった方がいたなら、ありがとうございます!
しかーし!
聖闘士星矢のアニメにはまだ劇場版があるんですよねー。
と、いうわけで…
今回はこの辺で。
次回、シリーズ番外編とも言える劇場版編で会いましょう。
君は小宇宙を感じたことがあるか!



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