この世に退屈と暇が蔓延る時、必ず居眠りをはじめる怠惰の戦士、眠闘士(たけじい)
今ここに、禁断のアニメ版「聖闘士星矢」を真面目に視聴する闘いが始まる!
どーも、たけGです。
アニメ版「聖闘士星矢」の視聴クエスト。
とりあえず、銀河戦争編から暗黒聖闘士編での一輝との決着まで見ました。
リアルタイムでのテレビ放送時は原作が好きすぎて、アニメの改変やオリジナル展開がどうにも受け入れることができずに、かなりおざなりに見ていた記憶があるのですが…
改めてちゃんと見てみるとツッコミどころは多いものの(原作からしてそうですが)、面白いアニメですね!
こりゃ子供に人気はでるわ。
ですが、原作と比べちゃいけないとわかってはいるものの、どうしても比べてしまうんですよねぇ。
なかなか別物として見ることができない。
ひとつはカットされている部分の多さ。
一輝との決着まではかなり駆け足で進んでいきました。
氷河と一輝の対決などはかなり短い尺で片付けられた印象。
キャラのセリフもなんだか早口でしゃべっているような感じで、原作を読んで感じられた心理描写がいまひとつ感じられないんですよねぇ。声と動き付きのアニメなのに。
ブラックドラゴン、もとい暗黒(あんこく)ドラゴンに関しても、伏龍だった盲目の兄の存在が、ばっさりカットされてます。
暗黒ドラゴンが最後に改心して死んでいくエピソードはしっかりと再現されていて安心でしたが、お兄さんが登場しない分、暗黒ドラゴンが友情や兄弟愛などの繋がりを必要としていない信条の持ち主というキャラ設定が少し薄い印象でした。
もともと原作の連載開始から早い段階でのアニメ化が決定したこともあり、途中からオリジナルエピソードを挟み込まないといけない事情は理解できますが、それなら、ここまで原作エピソードをカットせず、ストーリーを練りこんで再現していけば、もう少し話数を稼げたのではないでしょうか。
アニメの制作事情はよくわかりませんが、かつて「るろうに剣心」のアニメ版において、刃衛のエピソードが2話に凝縮されて駆け足展開になっていたことについて、原作者の和月先生が「オリジナル展開を早くやりたいがためにそうしたのではないかと考えてしまう」と語っていましたが、アニメの「星矢」を見ていると同じように考えてしまいますね。
設定の改変についても、気になることがありまして。
聖衣のデザイン変更や、魔鈴さんの性格については前回書きましたが、他にも色々あります。
大きいものではキグナス氷河のキャラ設定や性格についてですが、彼についてはその度合いが大きいので、また別の記事にて書いてみようかなと思っています。
もう一つ大きいのは、星矢たち孤児の出自ですね。
ま、それ以前に2〜3年の間に100人近い女性に子供を産ませたという絶倫じいさんであり、勘ぐれば15歳の一輝より年長の、聖闘士候補生としては集められなかった子供も既に存在していただろうし、グラード財団が見つけきれなかった所在不明の子供もいたであろうということを考えると、途方も無い精力の爺さんだったと想像できます。
原作生存時の年齢を考えて、20代の頃からその年齢になるまで、そんな人生を歩んできたのかと考えれば考えるほど、彼の血を引いた子供と、関係をもった女性は実に1000人を軽く超えるのではないかなど、考えれば考えるほどダーク・シュナイダーもびっくりの途方も無い女性遍歴が浮かんできます。
一方で孫娘(義理ですが)の沙織お嬢様の他に、息子や娘といった血縁者が一切出てこないのは、たくさんの女性と関係を持ちたいから正妻をめとらず、子供の数が膨大すぎて自身でも整理できずに跡継ぎ争いが混乱しそうだから、誰も認知していないとか、そんな最低な人物像まで想像しちゃいますね。
原作における城戸光政翁の設定の裏側を考え始めるとまとまりがつかなくなりそうなのでここまでにしておきますが、まぁ、そんな設定を子供向けのアニメにそのまま持ってくるのは難しいだろうということは理解できますわな。
むしろ、そんな設定を思いついた車田先生の方が恐ろしい。
なので、この設定のカットについては致し方なし、と思います。
ですが、そのおかげで一輝の抱いている、実の弟さえ殺してしまおうと言うほどの激しい憎悪の理由が薄くなっちゃってるんですよねぇ。
原作で一輝が憎悪を爆発させたのは、自分のふがいなさでエスメラルダを死なせてしまったり、自らの手で師を殺したりしたことに加えて、自分自身をはじめとした子供達をそんな地獄の地へ送りこんだ城戸光政の血をひいているからと知ったためでした。
それ故に、城戸光政とその同じ血への憎悪が、弟の瞬を含めて、父親である城戸光政に繋がる全ての存在を抹殺してしまおうという思いに走らせてしまったわけです。
ですが、アニメ版の一輝にはそれがないわけで。
エスメラルダを死なせ、師を殺めた故に歪んだ道へ走ったという感じなのですが、それで弟の瞬を含めた同じ境遇の星矢たちを憎悪するのは、なんともお門違いな感じがするんですよねえ。
原作では城戸光政との血の繋がりからその繋がりのある全てが復讐の対象であり、自分が憎悪の塊となってしまったという理由に納得なのですが、アニメ版では憎悪が爆発して、というよりも自暴自棄になって悪に走ったような感じなんですよ。
実際に、悪の教皇アーレスの手先になって悪に走っていたという事実もあるわけで。
決着後に、何故一輝は変わってしまったのか、それはデスクイーン島での過去とともに一輝の口から明かされた時に、歪んでしまった理由はわかるのですが、それまでの星矢たちへの憎悪アピールがなんだったのか、本当に瞬まで殺したいほど憎む理由がわからない。
瞬の身代わりで、 デスクイーン島に送られることになったから、殺したいほど憎くなった?
いや、それも弱いなぁ。
子供向けのアニメで城戸光政の設定同様、憎悪の理由とか複雑なシチュエーションは持ってきにくいでしょうが、そこを「憎悪の塊」で再現するのではなく、「悪意の塊」にすれば良かったんではないでしょうか。
そうすれば「あの優しかった兄さんが、あんな邪悪の化身になってしまうなんて!」で行けたでしょうし。
いろんな設定を改変しているんだから、そこも変えてよかったと思いますよ。
原作では憎悪の塊となり、自身さえ滅ぼすつもりで日本に戻ってきた一輝でしたが、アニメ版では結局、アーレス教皇に命じられて、黄金聖衣を奪い、星矢たちを抹殺しに来たという刺客設定に変わっているので、星矢たちの憎しみ云々はばっさりカットしてもよかったと思います。
うーん、テレビ放映当時は原作とのあまりの変更ぶりに嫌気がさしたために、内容を真面目に見ていなかったので、あまり考えていなかったことが、(実際、あの頃は本当に真面目に見ておらず、弟が見ているのを後ろでジャンプ読みながら流し見している程度だったので、城戸光政がアニメ版では父親ではないという設定になっていることも当時は気づいてなくて後年ネットで知ったぐらいです)改めて真面目に見てみると色々と浮き彫りになってきますねぇ。
ツッコんだり、呆れたりするばかりではなく、良しとする要素も少しはありまして。
とは言え、やっぱり笑ってしまうようなシーンの方が多いんですけどね。
ブラック…
原作の、ブラックスワンが自らの眼球をえぐり出して一輝にテレポートで送る、というのはそれこそ子供向けアニメ以前に放送倫理上難しいでしょうが(それを言ったら光政爺さんの原作設定も倫理上の問題があるな…)、
頭部のオマル…白鳥の頭をポキって折って送るってどないやねん!それ録画装置か⁉︎最後の力を振りしぼって残された小宇宙を一輝へ送る描写くらいでよかったんやないか!などもはや笑えるレベル。
そして一輝兄さんが氷河にはね返された幻魔拳で見た幻が、アニメ版においては暗黒四天王が反旗を翻す幻。
多分、テレビで見ていた中高生の頃は怒るほどに許せなかった改変の数々を笑って見られるようになったのは、原作重視の頭でっかちだった子供ではなく、いろんなものを受け入れられる大人になったからなのかなぁ。
アニメ版の「聖闘士星矢」を大真面目に見ている時点で、年取っただけの大人になりきれない子供のような気がしないでもないですが。
今回はアニメ版「聖闘士星矢」をまじめに見てみよう!シリーズ第2回でした。
一輝との決着後、新たな敵が出てきました。
その名はドクラテス。
一輝との結着までは真面目ではなかったとは言え、なんとなくは見ていたので、最後に出てきたこの方は覚えているんです。
あと、ファミコンゲームの「聖闘士星矢 黄金伝説」の影響かな…
ちなみに必殺技の「ヘラクレス猛襲拳」。
この拳に関して、一輝が
「気をつけろ!奴のヘラクレス猛襲拳は最悪だ!」
と叫ぶシーンがあるのですが…
この「最悪」というキーワードから、ちゃんとアニメを見ていなかった僕は「猛襲拳」を勝手に「猛臭拳」だと判断してしまい、長らくとってもクッサい拳だというイメージを抱いていました。
あの頃は対して気にしていませんでしたが、「ヘラクレス猛襲拳」という以上、ヘラクレス座の聖闘士という設定なのかな?
猛襲拳を放つバックにヘラクレスっぽいおっさんが現れてますし。
でも、そうなるとアルゲティはどうなっちゃいますかね。
あの頃、真面目に見ていなかったので気にもしていませんでしたが、このアニメオリジナルの要素と原作の整合性を合わせることでだんだんとカオスな展開になっていくんですよねぇ。
ま、ドクラテスとアルゲティの関係性についてはなんもありませんでしたが。
かつては毛嫌いしていたオリジナル編の展開が、なんだか楽しみになってくるのですよ。
今回はこの辺で。
次回、その3で会いましょう。
君は小宇宙(コスモ)を感じたことはあるか⁉︎
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