アニメ化に伴う改変の中で、一番の被害者は間違いなく彼だと思うんだよなぁ…
あっ、
どーも、たけGです。
アニメ星矢を生まれて初めてしっかりと見てみるミッション。
いよいよ山場の十二宮編へ突入しました。
リアルタイムの放映当時、完全アニメオリジナルのパートからオリジナル混じりの白銀聖闘士編を経て、十二宮編は流し見ではありましたがほぼ原作通りの流れで進んでいたように覚えてます。
それでも、アニメ独自の要素を取り込みつつ原作との整合性をとるために一部カオスな展開になっていたようにも記憶しているのですけどね。
これまでアニメ版をしっかりと見たことで思うのは、原作からかなりアレンジを加えられているようことがありすぎるなあということ。
原作とアニメは別物、とはわかっちゃいるのですが、ここまで原作から手を加えられたものって他にあったかなあ。
「忍空」がかなりアレンジされていたように覚えているのですが、それぐらいかな?
聖衣のデザインなんてもはや言わずもがなです。
青銅聖闘士のデザインはほぼヘルメットと化して原作とかけ離れた重装備になっているのに、白銀聖闘士はほぼ原作通りのデザインなもんで格上のはずの白銀聖衣が青銅聖衣に比べて防御力無さそうなんですよねぇ。
格上だからこそ そこまでプロテクターで身を守る必要がない、という解釈なのかもしれませんが、それならば黄金聖闘士は?
キャラクターの設定も各キャラそれぞれ原作と違和感のありすぎる行動や言動がかなり見られますねぇ。
主人公の星矢からして、女性に対して本気の拳を向けられないはずなのに、倒れた女性聖闘士の背中から流星拳を浴びせたことは前回書いた通り。
それなのに原作通りのシチュエーションでシャイナさんと向かい合った時には、
「女の人と本気で戦うなんて出来ないよ!」
と、もはや何を今さら発言をしておりました。
お前、アニオリ展開ではシャイナさんと普通に戦ってたやんかー。
そんなアニメ版、最大の被害者と言えば、個人的にはキグナス氷河だと思います。
聖衣のデザインにおいては青銅聖闘士たちの中で唯一ヘルメット化しておらず、原作に近いデザインとなっていてパッと見た目は原作ファンでも安心なのですが、手を加えられているのが外見ではなく中身やそのキャラ背景。
聖域から星矢たちを抹殺するために指令を受けた刺客、という背景は一輝に回ってしまったので氷河はただ単に星矢たちと戦いたくなったから、という理由で銀河戦争に参戦してきました。
見世物の戦いに興味がなかったのではないのなら、何故わざわざ遅刻した?
そして、彼の性格がアニメでは妙に熱いんですよ。
銀河戦争にかけつけた時から「その通りだ!星矢!」と大見得切って熱く登場。
原作の氷河と言えばマザコン…はアニメも同じなのでさておいて、クールを信条としている男。
口数は少なく表紙などの集合写真では基本的に目を閉じていて、感情をあまり表に出さない性格です。(身内が絡んだ時のみ例外で、すぐボロボロ泣きますが)
ですが、アニメの氷河は非常に熱い。
「〜だぜ!」を連発する熱血キャラになっております。
すぐに熱くなるその性格は、自分で凍らせた相手も溶けてしまうんじゃないかと思わんばかり。
対してアニメでは最初から前に前に出ている感じで、一輝に譲るどころか冷静キャラポジションまで紫龍に譲ってしまっているような感じになってるのですよこれが。
そしてアニメ版氷河と言えば、必殺技の改名が原作ファンから見た場合で有名ではないでしょうか。
「カリツォー」は「氷結リング」へと変更されています。
「ホーロドニー・スメルチ」も、「カリツォー」も、ロシア語で子供には理解しにくいというのもあったのでしょうが、それならギリシア語必殺技のバベルの「フォーティア・ルフィフトゥラ」やアルゴルの「ラス・アルグール・ゴルゴニオ」はそのままだったのはなぜでしょう?
白銀の2人はレギュラーキャラではなく技もその時だけだったから、子供がごっこで使う事も少ないとして別に問題なかったのでしょうか。
となると、まことしやかに語られているもう一つの理由、原作の技名、特に「ホーロドニー・スメルチ」の響きがダサいからという説もよく聞きますが…
それを言うなら「オーロラ・サンダー・アタック」や、「氷結リング」も結構なものだと思うのですけど。
更には、アニメオリジナルの必殺技(?)「シベリア仕込みの足封じ技」
相手の両足を掴んで動きを封じるという技。
技名(?)が「シベリア仕込みの足封じ技」という名前自体もあれですが…
氷河はダイヤモンドダストの連発で黄金聖闘士のミロの足を凍らせて封じることの出来る男ですよ?
まあ放映当時はまだそこまで原作が進んでなかったとは思うので、アニメスタッフの頭にはなかったのでしょうけども。
それにしたって懐に飛び込むリスクを負うよりも、ダイヤモンドダストという相手を凍らせる飛び道具があるんだからそれを使うべきじゃない?
そら、そうなるよねー
ていうか、動きを封じるなら足封じの前に「カリツォー」「氷結リング」もあるじゃない。
そして、さあ行きますよー。
究極の問題点。
その「シベリア仕込みの足封じ技」を伝授してくれたクリスタルセイント先生の存在ですよ。
原作では我が師カミュが存在しているのですが、カミュが原作においてまだ登場していない時に氷河の師匠を別に作っちゃったもんだから、アニメでカミュが登場した時に非常にわけのわからない、カオスな状況が発生するんですねー。
この辺は流し見していたリアルタイム放映当時にもさすがに「なんじゃそりゃあ!」とツッコまざるを得ない状況でした。
アニメ版における水瓶座のカミュの立ち位置。
それは、アニメ版のキグナス氷河の師匠であるクリスタルセイントの師匠という存在です。
そんなカミュと出会い、氷河が至った答えは、
「我が師の師は、我が師も同然!」
と言うことで後々はカミュを原作と同じく「我が師カミュ」と呼ぶようになるのですが…
ちょっと待てえぇぇぇ!
例えば学校の先生でもいいし、スポーツのコーチでもいいし、武道や華道などの師範でもいいです。
自分に恩師と呼べる存在がいるとしましょう。
その先生、仮に鈴木先生として、その鈴木先生から佐藤さんという人を紹介されたとします。
そして鈴木先生はこう言います。
「この佐藤先生はだね、私が若い頃にいろいろ教えてくださった私の恩師なのだよ」
それを聞いて僕は
「鈴木先生の先生なら、僕の先生も同じ!僕の恩師、佐藤先生ですね!」
だなんて、言えるかぁー!
この問題点は後々に更におかしなことになっていきまして。
それはポセイドン編におけるリュムナデスのカーサが変身した人物。
アニメ版でもカーサが氷河に対して変身していたのはクリスタルセイント先生ではなく、原作と同じくカミュだったのですよ!
我が師の師が、我が師を超えてしまってるー!?
だいたいにして氷河の師がクリスタルセイントで、更にその師がカミュと言うことになれば、それぞれの年齢差はどれほどなのでしょう?
ま、年齢的な問題については原作設定時点でカミュ18歳、氷河14歳のたったの4歳差であり、7歳の氷河を11歳のカミュが指導しはじめたというトンデモ事実があるので、あまり言及はしないでおきますが、どう見てもクリスタルセイント先生の方がカミュより年上に見えるのですけどねえ。
どちらにせよ、アニメ独自に氷河の師匠を登場させたあとで、原作にも師匠が登場し、アニメに原作師匠が登場するにあたって取り繕ったことが師匠の更にその師匠ということで、かなり苦し紛れじゃないですか?
原作がまだそんなに進んでいない段階でのアニメ化だったので、いろいろとアニメスタッフ側の苦労や都合はあったとはわかるのですが、アニメスタッフは原作者である車田先生に物語の進行において確認とか打ち合わせをしなかったのでしょうか?
「氷河の師匠を出そうと思うのですが、大丈夫ですかね?」みたいな。
それとも「HUNTER X HUNTER」の冨樫義博先生が「幽遊白書」アニメ化に際して語っていたのと同じように、原作とアニメは別物であり、アニメスタッフが作るものにはノータッチ、なスタンスで、アニメはアニメで好きにやっていいよ、としていたのでしょうか。
確かにアニメ版はおろか、車田先生が許諾して別の作家さんが書いている「エピソードG」や「ロストキャンバス冥王神話」の設定はガン無視の傾向がありますもんね。
(そのわりに声優変更などについて、えらい口出す印象もあるのですが)
もしそのようなスタンスでのアニメ版製作を行っていたのなら、それならそれでアニメ版は独自の路線を貫き、無理に原作と整合性を取り繕和なくても良かったと思うんですよ。
氷河の師匠はクリスタルセイント先生のみで、カミュはクリスタルセイントの兄で氷河とも面識があったとか、もしくは氷河にとっての血縁関係みたいなアニメオリジナルの設定にしておいて、独自路線を貫くことで「我が師の師は我が師!」みたいに無理矢理氷河の「我が師」にしてしまうような妙ちくりんな軌道修正をする必要もなかったと思うんですよねぇ。
その後に出てくるアンドロメダ瞬くんの師匠の仇も、アニメ独自路線のミロのままにしておけば良かったじゃないですか。
どうにもアニメ版で作り上げてきた要素や設定を、原作が追いついた際に無理矢理原作と合わせようとしたり、時になかったことにしたりしていっているように見えて不自然になっちゃっていくんですよねぇ。
アーレス教皇が蠍座のミロを呼び出した際に、青銅聖闘士抹殺のために一輝を派遣し、その後白銀聖闘士を派遣したと語るシーンではドクラテスらオリジナルの聖闘士については触れず、パエトン参謀長も気がついたらいなくなってるし。
アーレス教皇自身についてもアルデバランが語るには、善の顔のサガと同様、民に慕われる良い教皇としての一面しか見えてなかったと話すのですが…
世界各地や聖域内で様々に悪どいことを隠そうともせずに大々的にやっていたことを知らなかったとなると(シベリアのピラミッド建設なんて、堂々と教皇の権威を世界に!だなんて大々的に喧伝してましたしね)、アルデバラン、お前どうかしてるぜ!となってしまうような感じでになってまして。
つまりはアニメ版オリジナル展開の中で、悪の教皇アーレスとしてやってきたことまで、なかったことにされているようなのです。
そして例の鋼鉄聖闘士3人組。
日本から飛行機で飛び立つ直前まではいたのに、その後はどこにいった?
君らの役目は青銅聖闘士たちのアシストではなかったか?
トレミーの矢に射抜かれた沙織さんを守る役目ならムウ様ではなく、鋼鉄3人組で良かったのではないか?
(って言うか、原作にはいたはずの辰巳までどこに行った?)
本当に鋼鉄聖闘士たちはなんのために出てきたのかわからないまま、なかったことにされた感じで、ホント、泣かせやがるぜ!
(なのに十二宮編に突入し、本人たちが不自然な位に消えてしまっても、アイキャッチでは星矢たちを差し置いてフロントを陣取っているし)
苦言ばかり述べてきましたが、リアルタイム放映当時はアニメオリジナルの様々な要素が本当に嫌で、全然見ようともしなかったのを今回改めてちゃんと見てみると、ツッコミどころは多いものの、なかなかに面白いな、と感じるオリジナルエピソードもありましたね。
アニメ版における手の加えられ方での最大の被害者はキグナス氷河だと先に書きましたが、逆に優遇されているのはドラゴン紫龍だと思います。
聖衣はあんなですが、性格やキャラ背景はほぼ原作のままで、星矢や氷河のような原作キャラ崩壊のようなこともありません。
そして、彼に用意されたアニメオリジナルエピソードが良かったのですよ。
老師のもとでともに修行した兄弟弟子の王虎とのエピソード。
舞台背景がいつの時代の話だ!みたいなツッコミどころこそありましたが、王虎のキャラクターはドクラテス他のアニメオリジナル聖闘士たちのように聖闘士星矢世界において違和感を感じるような浮いたデザインではなく、原作に出てきてもおかしくないキャラクターでした。
そして、クリスタルセイントのように原作絡みの話やレギュラーキャラに後々影響を及ぼすものでもなく、その回のみの登場で完結し、その後の原作エピソードに絡んでくるわけでもなく、それでいてしっかりと紫龍の成長に影響を及ぼした、非常に良キャラにして良エピソードでした。
ツッコミどころが原作以上に多すぎる一方で、良質な話もあったアニメオリジナルな展開。
今回、改めてしっかりと見ることで、意外にも楽しめました。
それで思ったことは、そのようなアニメ独自のオリジナル要素を作った以上は原作と無理に合わせようとせずに、アニメ独自の展開のまま行くべきだったのでは?ということ。
鋼鉄聖闘士は今回改めて見直しても やっぱり受け入れられませんでしたが、出した以上は突然フェードアウトさせるのではなく最後まで話に絡めていくか、退場することになったエピソードを描いて納得できる理由作りをすべきだったと思うんですよねえ。
アニメオリジナルの要素を無理に原作設定に合わせたり、なかったことにしたりすることで、余計にツッコミどころが増えちゃってるんですよ。
それこそカミュは「我が師の師は我が師」みたいな。
アニメはアニメで原作とはまた別の展開のまま続けていってたら、それはそれで面白いものが出来上がったようにも思えるんですけどね。
さてさて次回からはいよいよ十二宮編へ。
カミュの設定以外はほぼ原作通りに進んでいきますが、ここでもやっぱり無視できないオリジナルエピソードが絡んでくるんですねえ。
僕らの蟹座デスマスク登場については変にいじらずに原作通りだったので安心。
コメント
星矢はバンダイのオファーにより、アニメ化されているので、原作とかけ離れているのも、それが原因ですね。
当時、集英社がTVアニメ化させたかった作品は、星矢ではなくてきまぐれ☆オレンジロードでしたし。
途中交代が起きた原因は、色々ある中でも、エピGが関係します。
あの作品の作画担当の方、名前をwikiで調べると、オリジナル作品がTVアニメ化されています。
そのオリジナルのTVアニメの出演声優、名前を見て下さい。
星矢のTVアニメ版の声優は、誰も出ていません。
エヴァ以降、エヴァの声優ファンの同人作家を、大手出版社が引き抜いて、オリジナル作品を深夜枠でTVアニメ化するようになりました。
そういう経緯で、プロになった方々は、星矢のTVアニメ版の声優を評価していません。
自分の出世に役に立つ人しか、使わない時代です。
あと、美形キャラランキングをネットでぐぐると、エヴァの主人公と声優の同じ蔵馬が圧勝しています。
その一方で、サガやシャカはランク外に甘んじています。
TV放映中のアニメ雑誌のランキングでも、サガやシャカは、冴羽リョウには勝てなくて、これが打ち切りの原因になんです。
そもそも、星矢はバンダイやテレ朝や集英社の宣伝のおかげで、人気があるように見せかけていました。
アニメ雑誌のキャラランキングで、サガやシャカが冴羽リョウに敵わなかったのも、そこにあります。
TVアニメの打ち切りの原因を、説明していたら、結果は違っていたでしょうね。
>ナツさん
コメント、ありがとうございます。
なるほど、アニメ放映当時からいろんな大人の事情が絡んでいたのですね。
リアルタイムの放映時は原作派であったのでアニメ版の方をちゃんと見てなかったのもあるのですが、そんな事情も頭になくチラッと見た程度で鋼鉄聖闘士ってなんじゃあ!とか、ちゃんと見てないくせに憤慨していたもんです。
大人になったらガンダムで言うところのGアーマーのようなスポンサー事情なんだろうなぁとは思えるようにはなったのですが、最初からスポンサーであるバンダイの意向が強かったのですね。
勉強になります。
そもそも原作からして当初の氷河の師はミロだったのが変更されてますので…(本誌ではマーマの船を海溝に沈めたのはミロ、その後「これは師の筆跡…」と続く)
和知と本家から行き当たりばったりはあったみたいですね
>ゆずるさん
ジャンプ連載時の氷河の師匠初登場時のシルエットがミロそのものだった問題ですね!
しずるさん、なかなかの通でいらっしゃる。
初登場にはシルエットがミロそのものだったので、僕は「氷河の師匠はミロに違いない!」と主張していたのですが、弟は「そう思わせるように描いているだけで絶対ミロではない!」と言って論争していたのを思い出します。
2度目の、天秤宮に落ちた氷河の前に現れたシルエットもやはりミロのまんまで、僕は「ほらやっぱりミロやん!」とか言うのに弟はそれでも絶対違うと言い張って、お互いの小遣いを賭ける勝負にまで発展して…
次号のジャンプではミロと似ても似つかないカミュが登場した時には車田先生を恨んだもんです。
あのシルエットは絶対ミロだったやん!…と。
コミックスでは修正されていて、大人のズルさを垣間見ましたねぇ。
2年くらい前の記事にコメントするのもなんなんですが失礼します。
昔はアニメが原作に追いついたら
アニメオリジナルが追加されることは常識でした。
そして今みたいに
「アニメ化するから打ち合わせ諸々で原作休載します」
とか絶対なかった時代で
週刊連載漫画家に
打ち合わせする時間なんてありませんでした。
本当に漫画家は出版社の奴隷と言っても過言ではない時代だったんです。
打ち合わせとは名ばかりの
「はい、はい、はい、それでいいです、はい」しか言わない原作者からの了承取るだけとか
寝不足でテンションおかしい状態で打ち合わせてしまったとか
そんなんばっか聞きます。
どっかの漫画みたいに、原作からかけ離れたアニメにならずに、何とか整合性取ろうと努力してくれた事を有難く思う、みたいな時代でしたからね
今の作家さんは
1期、2期みたいにアニメが原作に追いつかれないように工夫してもらってたり
アニメ化の打ち合わせのための休載もらえたり
労働者としての当たり前の権利が貰えて
とても素敵になったと感じます
>通りすがりのプロアシさん
コメント、ありがとうございます!
もう何年前の記事でもコメント大歓迎です!^^
マンガ家さんを巡る環境も、原作とアニメの関係も、この数年で随分と変わりましたね。
シリーズの節目などに何週か休載するなんて、僕が子供の頃のジャンプでは想像できなかったと思います。
(H x Hの冨樫先生はかなり特殊なケースだとも思いますが)
アニメもかかつては原作エピソードを端折って駆け足で描くのに、アニメオリジナルの話やキャラにばかり時間をかけていたように覚えています。
るろうに剣心の作者さんはコミックスでそのことを指摘するようなこともあって、アニメスタッフは原作へのリスペクトが少ないんじゃなかろうか…なんて想像していました。
今の原作つきアニメは物語やキャラデザが原作に忠実なのが多くて非常にいいと思います。
子供の頃にマンガを読んで育った人たちがスタッフになることで、原作にリスペクトを持って制作することが出来るようになったのかなぁと思っています。
マンガの方も上からの指示で無理矢理連載を延長するようなこともなく、作家さんが考える終わり方が出来るようになってきているように思えますし、とてもいい時代になっているのだなぁと思えますね。
クリスタル聖闘士、スチール聖闘士の存在はひどいですねw
当時はそんなに違和感を感じなかったような気がしますが、最近改めて観てみると設定おかしい事だらけですね。
そもそもの「聖闘士に同じ技が2度通用しない」結構はじめから黄金聖闘士十二宮編の終盤まで言ってましたけど、そんなことないですよね!黄金聖闘士でさえ2度も3度も同じ技食らって倒されてるんですから、(それは原作もそうでしたっけ?)
原作だと分かりずらいですが、アニメだとはっきり違いが出てしまう着てる服がクロス装着したら、クロスから見えてる中の服が変わってるのもすごい沢山みられますねw
あと十二宮編の処女宮でのシャカと対戦の前で一輝がシャカの弟子みたいなのに島で襲われてるエピソードおかしいですよ
そのあとすぐにシャカと対戦って瞬間移動?サンクチュアリから近場?さっきまで島で戦っててどうして?と疑問になります。
あとこれは別のポセイドン編になるんですが、氷河がライバルの為に左目を潰して見えなくなってるのにポセイドン戦の時には急に回復して両目パッチリ…
これもポセイドン編で紫龍が最強の矛みたいなのと戦ってて目なんて何も攻撃受けてないのに急に目が見えなくなって、あと氷河と同じポセイドン戦の時には両目見えるようになってるのは何故?何でそんな短期間で見えなくなって見えるようになるの多すぎ…。ちょっとこれにはテキトーすぎと思わされました。
昔にリアルタイムでしっかり観てたかどうかうる覚えですが、原作観てたので改めて観てみたらオリジナル要素がひどすぎてがっかりですね
今年の2023年4月の実写版は大ゴケみたいですし、原作あるものはそのまま再現して欲しいですよね。
>まちゃぽんさん
コメント、ありがとうございます!
アニメオリジナルのクリスタル聖闘士や鋼鉄聖闘士、僕はリアタイ当時になんだこれ!と、許せなかったものですが、今は笑いながら見ることが出来るようになりました。
笑いながら見ている時点でおかしいことだらけなんですけどね。
「聖闘士に同じ技は2度通用しない!」
確かに十二宮編のあたりだと同じ技喰らいまくってるんですよね。
このセリフが顕著になってきたのはポセイドン編の頃でしょうか。
海将軍や冥闘士たちを倒すときは大体、相手の技を喰らう→立ち上がる→相手の技が効かないと言って圧倒して倒す、が定番化するようになりました。
黄金聖闘士に比べて他勢力の敵が弱く感じるのはこの辺が原因ですね。
冥界三巨頭なんて黄金聖闘士と同等のはずなのにこの決め文句で一輝兄さんにやられてますから。
紫龍がポセイドン編で失明したのは、海将軍クリシュナの必殺技、マハローシニーの光を受けたからですね。
ここで視力を失いました。
でも、その後の冥界では現世の肉体と違うからという理由で見えるようになっていたり、その後冥界から戻ったあとではそのまま見えるようになっていたりと、確かにご都合主義かも。
ハリウッド版星矢…見てません。
ちょっと見るのが怖いですねー。
CG映画版では星矢たちのビジュアルが全然違ったり、ネットフリックス版では瞬が女性になっていたりで、スラムダンクやシティハンターのように普通に原作を崩さずアニメ化してくれないもんだろうかと思うのです。