どーも、たけGです。
Amazonプライム・ビデオでゴジラシリーズ全作品見るミッション、とりあえずは順調に「三大怪獣 地球最大の決戦」まで到達しました。
この映画を語る時、どうしてもキングギドラに目が行きがちで、そこに思い入れが入りすぎてしまう傾向にあるのですが、この映画に登場するキングギドラへの思いについては既に書いているので、今回は映画そのものについて、それも極力キングギドラ抜きで書いてみようかとも思います。
さて、この映画をキングギドラ抜きで語るとすると、前作で悪役、憎まれ役の極みに達したゴジラがベビーフェイスに転向するきっかけとなった映画ですが、同時に昭和ゴジラがおかしな方向に行くきっかけとなった映画でもあります。
ゴジラの挙動に人間臭さがかなり見られるようになってきます。(後の作品と比べると、まだ控えめな方ですが)
宇宙から飛来した怪獣の脅威に対して立ち向かう地球の怪獣たちというプロットは、ハリウッド版最新作「ゴジラ キング・オブ・モンスター」と同じで、影響を与えていることは間違いないと思いますが、その内容は昭和の日本映画らしく、どこか軽くコミカルで、前作での重さや、ゴジラに対する脅威がかなり薄れてきています。
まだまだゴジラ、及びラドンは人間にとっての脅威としては描かれており、住む場所を破壊された人々の絶望感も描かれてはいますが、モスラの説得でゴジラとラドンが共同戦線をはってキングギドラと戦いはじめたあたりからの主人公周りのゴジラたちに対する意識は、一般市民の絶望感と対比して非常に軽くなってしまっているのです。
被害者がたくさんいるのにね。
そして映画のラストで、インファント島へ帰るモスラと小美人を見送るのはゴジラとラドン。
見送る姿もまさに新幹線のホームで友人を見送るような感じの人間臭さをかもしだしているのですが、この後、この凶暴な2匹をどうすんのって普通思いません?
まぁ2匹はただおとなしく見送るだけで害はないように見ますが、本当にそれでいいの?。
「キングギドラはいなくなったけど、今度はゴジラ(とラドン)が!」
みたいな展開にならずに物語は終了するのですよこれが。
フェリーを沈め、街を焼き、ソニックブームで集落を吹き飛ばすなど、大きな被害を出している怪獣2匹をそのままにして終わる、よくよく考えると前代未聞の終わり方ですよね。
「ゴジラvs.スペースゴジラ」のしっくりこなさ加減に通じるものがあるかもしれません。
金星人の本能?が甦った王女を中心とした物語は悪くないのですけどね。
振り返って1つの映画として見ると、確かに粗も多いですが、全体を通してテンポよく、面白く見られるエンターテインメント作品なので、傑作と呼んでも別になんら問題ない作品です。
「そうだ、そうだ」と、ラドンも言っているかもしれません。
コメント
こんばんは。
「三大怪獣 地球最大の決戦」はモスラを通じて、初めて怪獣と人間の間に相互理解のきっかけが生まれるのですよね。
「勝手にしやがれ」「人間は我々をいじめている」等のゴジラ&ラドンの言葉に「分からず屋」のコメントを発した新藤刑事。もし彼に怪獣語が分かりゴジラ達の説得をしたとしたら、モスラ以上に真理をついたものになるのでは?何と言ってもハードボイルド・Gメン75ですから(笑)。
「オレ達は何をしたという訳でも無いんだぞ!それなのに攻撃してきやがって!」
「何をぬけぬけと!お前達の暴挙でどれだけ人間の生活が破壊されていると思っているんだ!」
「先にオレ達の住処を破壊したのはお前達人間じゃないか!」
「だったら何をしても良いのか!?人間の中には善良な人達だっているんだぞ!」
・・・・・・説得どころか、余計に事を荒立てるかも・・・・・・(汗)。
「三大怪獣」では怪獣被害に嘆く被災者の姿も描かれていますが、最終戦で被害に遭った村の場合は「怪獣被害」というよりも「戦争被害」ですね。地球を守る為の戦いとはいえ、土地の住民に被害を与えてしまう。後々、アニメや特撮で問題になってくるテーマの素地はこの頃からできていたのですね。複雑です。
でも、最終的にはモスラの説得で分かってくれたのか、ゴジラもラドンも極力人間世界には手を出さない事にしてくれたようですね。人間側も小美人の説明で分かってくれたのか、キングギドラを追い払った後は怪獣達を攻撃しませんでした。怪獣にも人間にも悪意は無いのですから、相互理解の懸け橋になってくれたモスラと小美人には感謝!です。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
>>A-chanさん
こんばんは。
僕はキングギドラが好きなので、どうしてもギドラさんに目が行きがちになってしまうのですが、ゴジラシリーズの転換点になった作品でもあるんですよね。
フェリーを焼き払った後に日本へ上陸するゴジラ、阿蘇山火口から復活し(「空の大怪獣ラドン」と同一個体なのかな?)やはり街を吹き飛ばしていくラドン。
ここまでは前作「モスラ対ゴジラ」と同様にシリアスな怪獣映画であり、怪獣たちと人間社会が相容れない世界だったのに、キングギドラが登場し、モスラがゴジラとラドンを説得し始めると雰囲気がガラッと変わります。
ゴジラとラドンにコミカルな人間臭さが見られるようになり、あれだけ怪獣たちに対して畏怖を抱いていた人間たちも、「怪獣にも、わからずやっているんだな!」「ゴジラ!行け!ラドンも行くんだ!」と一転応援するかのような心変わり。
この作品をきっかけにして、ゴジラがシェーをしたり、若大将になりきったり、果ては空まで飛んでしまうことを考えると、いろんな功罪があるなぁと思うのですが、この牧歌的とも言えるような作風への方向転換は、昭和という時代に合っていたのかもしれませんね。
強大な侵略者であるはずのキングギドラがバイキンマンのように逃走していくのもお約束になり、ちょっと微笑ましいシーンも多く見られるようになるんですね。