どーも、たけGです。
今回のお題、「怪獣大戦争」、冒頭から流れるは伊福部昭氏作曲の超名曲、「怪獣大戦争マーチ」
「ゴジラvs.ビオランテ」や「シン・ゴジラ」などの作品でも効果的に使用され、怪獣王子こと、格闘家の佐竹雅昭選手の入場テーマ曲としても一部では有名かもしれません。
この曲を聞くと、俄然気持ちが盛り上がります。
シリーズBGMの中でも「ゴジラのテーマ」と並ぶ名曲ですが、一方で映画の方に目を向けると、大好きな「三大怪獣 地球最大の決戦」に比べて、同じくキングギドラが出る作品だというのに印象が薄いというか、思い入れが低いというか。
前作からモスラが消えてるのに、新しい怪獣が登場していないからスケールダウンした感じがあるからなのか、今作からキングギドラが宇宙人に操られるようになったからなのか、それとも、ゴジラがシェーをするなど人間臭さが深くなったためなのか。
そんな理由で「怪獣大戦争」という映画を最初にビデオで見た以来、再度見直したことがあるかどうかは随分あやしいです。
今回、改めて見るのも実に20年以上ぶりになるかもしれません。
それぐらい間が空いて、今回Amazonプライムビデオで改めて見てみたんですが、頭で思っていた印象と大分違いました。
初代から連続して見てきたためか、ゴジラがシェーをするなど、世界観ブチ壊しの製作者の悪ノリはやっぱり受け付けられませんでしたが
おそらくは、昔にビデオで見た時の印象が薄かったのは、ゴジラ、ラドン、キングギドラの怪獣達のシーンが思いのほか少ないせいかもしれません。
改めて見て思ったことは、怪獣メインのお話しではなく、人間ドラマに比重が置かれてるなあと感じました。
ゴジラがシェーをしますけど。
地球侵略を図るX星人と地球人の攻防、その中で交差する人々のドラマ。
おそらく、精神的にまだまだお子ちゃまだった頃に見たので、その辺に重点を置いている今作を退屈な映画だと感じていたのかもしれません。
「三大怪獣 地球最大の決戦」はその名前の通り、怪獣たちの決戦を描いた映画でした。
なので「ローマの休日」を匂わせる人間たちのドラマはあくまでオマケ。
対して、今作「怪獣大戦争」はそのタイトルから今作を表すのなら、怪獣たちの戦争ではなく、怪獣を用いた異星人間戦争なのです。
なので比重はどちらかと言えば人間ドラマ寄りなんです。
怪獣バトルがむしろオマケというか。
なので、子供の頃の評価としては前作と比べて少し低かったのかもしれません。
大人になって改めて見ると、ちょっと評価が変わる映画ですよね。
ゴジラがシェーをしますけど。
グレンと波川の生まれた星を超えた悲恋が良かったですね。
ラストでもうちょっと、グレンにはその辺を引っ張ってほしかったとも思います。
ゴジラシリーズに初めて登場した異星人、X星人も良かったです。
いろいろ回りくどいことしながら地球の侵略を目論む宇宙人ですが、彼らには彼らなりの生きる目的があって地球を狙っていたことも伺えます。
統制官の自爆する際の最期のセリフ、「まだ見ぬ明日へ向かって!」は、滅亡するだけの故郷を離れて安住の地を求めながらも叶わなかったからこそのセリフでしょう。
彼らは彼らなりに明日を迎えられる、安住の地を探していただけ。
ただ、そのやり方が間違っていただけ、ともとれます。
決して劇中で語られているわけではないのですが、僕個人で考えた裏設定としては、X星人の母星は、本当にキングギドラに滅ぼされたのではないでしょうか。
抗ううちにキングギドラを抑える術を見出し、操ることさえ可能になった。
しかし、その時には既にX星は人の住める星ではなくなっており、移住先として地球を選択した。
しかし地球にはキングギドラをも撃退したゴジラとラドンがいる。
ならばキングギドラと同様にゴジラもラドンも操ってしまえばいい。
地球人とわかり合い、移民する道も選べたはずですが、彼らの計算では地球人とは分かり合えず、怪獣を使用するという遠回りな侵略を行うしかなかった。
そんな感じの裏設定があるのでは?
と、想像してみたんですよ。
ま、あくまで個人的な想像ですけどね。
特撮映像に目を向けて見ると、予算が縮小されているのかなぁと感じるシーンもちらほらり。
ラドンが暴れまわるシーンでは、かつての「空の大怪獣ラドン」のシーンが使い回されており、おかげで破壊シーンの場所が合わない矛盾が生じております。
また、ミニチュア戦車による砲撃シーンはどうみても同じシーンを繰り返しているだろ!と思わしきシーンが何度か見られました。
この頃からだんだん厳しくなっていくのね…
そして、僕の大好きなキングギドラ。
前作からモスラがいなくなってるので、もうちょっと有利になっても良かったと思うのですが。
ラストは3匹まとめてリングアウト。
まぁ、ゴジラ、ラドンの2匹相手に引き分けたと思えば、敗れて逃げ帰って終わることの多いキングギドラとしては最良の結果かもしれません。
生死不明と比べてゴジラとラドンに比べて1人姿を現し、宇宙へ帰っていったキングギドラは、X星人のコントロールも解けて自由となり、ゴジラ、ラドンの2匹に対してやることもやったので、逃げたのではなく自分の家へと帰っていったとも見れます。
このラストシーンだけ見ると、「三大怪獣 地球最大の決戦」よりも上かもしれません。
ですが、要所要所でシェーのポーズをとったり、キングギドラとの戦いではボクシングスタイルで戦うなど擬人化が一気に進行したゴジラには、今もって肌に合わないといいますか。
Amazonプライムビデオで、連続にシリーズ作を見続けていると、ゴジラの変化が急速すぎるんですよねぇ。
あの、悪の華を咲かせた「モスラ対ゴジラ」から数えて、たった2作ですよ。
この違和感は、個人的なキングギドラ愛をもっても拭えない。
全体として見ると決して悪くはない映画なのに、個人的ベスト10に入れない理由はその辺にあるのかもしれません。
ちなみに余談ではありますが、後にリバイバル上映された短縮版のタイトルは「怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ」となっております。
ラドン…
コメント
こんにちは。
「怪獣大戦争」では地球が初めて宇宙人からの侵略を受けるのですよね。あの有名なゴジラの「シェー」はさておいて(笑)、本編に登場するX星人という科学万能主義の宇宙人。何でも機械任せというのが後に「対ガイガン」に出てくるM宇宙ハンター星雲のG達に共通しますが、行動及び人生の選択までが機械任せというのが恐ろしいです。
機械の計算ずくで作り出された悪徳も争いも無い秩序正しい世界。果たしてこれが本当の平和な世界なのでしょうか?自己主張もできず機械の命令に従うだけの、ただ生きているだけの人生。これでは文字通り「機械の部品」。
ここまでの世界に到達するまでには、かなりの血が流されたはず。結局のところ根っこの方は何も変わっていない、うわべだけの秩序です。
それに機械にはたまに「誤算」というものが生じますから、その指示に従って動いていたら破滅に向かって一直線か、他者に多大な被害を及ぼす事になるか・・・・・・。
本作の侵略行為が良い例です。もし良識のある宇宙人であれば「侵略」よりも「共存」の道を選ぶでしょう。地球には「負」の歴史もありますが「正」の歴史もあるのですから、計算ずくでそれらを踏み潰す事は許されません。受け入れるはずです。
結局、X星人達の自己主張の否定、全てに公平な機械の決定に逃避するようになってしまったのは、同族同士であっても自分と異なる意見や思想を受け入れる心を持てなかった事にあるのではないでしょうか?統制官その他がどのような未来へ向かって脱出したかは分かりませんが、こんな考え方を改めない限り明るい未来は無いでしょう。
機械任せで破滅してしまったX星人の姿を見て、我々地球人もそうならないよう努めたいですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
>>A-chanさん
こんばんは。
機械の計算が全てのX星人における「誤算」がまさに、グレンへの愛を覚えて感情を知ってしまった波川女史なのでしょうね。
ですが、情を覚えた彼女を通じてわかり合う道を選ばず、コンピュータに発生したバグを消去するかのようにあっさりと同志である彼女を殺してしまう。
機械が計算し、指し示した道や計画通りにしか進めない、愚かしくも悲しいX星人たちの指揮者たる統制官が見た「まだ見ぬ明日」は地球人を愛した波川の中に見た、機械の計算通りとはまた違った未来の可能性だったのかもしれませんね。
まぁ、自分たちの苦手な音を発生する機械が存在することを知り、侵略者X星人らしく製作者の鳥井を殺してその機械自体を無くしてしまえばいいものを、地球に架空の会社を作り、鳥井の作るその機械を全て買い取るというとても回りくどすぎるやり方を示したコンピューターを信じて行動している時点で、彼らに明るい明日はなかったのかもしれませんが(笑)