「ゴジラvs.メカゴジラ」はっきり言って23世紀の技術を超えていませんか?

FullSizeRender

どーも、たけGです。

キングギドラ、モスラときて昭和の人気怪獣が平成の世にリボーンし、次の怪獣は何か。

次に来るならやっぱり子供人気の高いガイガンではなかろうか!

と、いうようなことはなく、次に来たのはやはり昭和シリーズにおいて子供人気の高かったメカゴジラでした。

そりゃまあ、ガイガンのようなデザインのサイボーグ怪獣は、平成vsシリーズの世界観では使いづらいかな。

でも、それを言ったらメカゴジラだって、平成vsシリーズでどう再現するのか。

平成の世において、ゴジラは人類の敵であり、そして地球に侵略してくる宇宙人が出てくるような世界観でもない。

そんな世においてメカゴジラが存在出来るの理由とは?

答え:人類側における対ゴジラ兵器として登場する。

まあ、平成vsシリーズのような世界観においてゴジラの前に立ちはだかる、メカゴジラとしては、1番の正解ですな。

ですが、現在の科学技術で巨大なロボット怪獣をいかにして作り上げるのか。

平成5年のバブルが既に弾けてしまった後の日本に、ブラックホール第三惑星人のような技術力が存在するというのか。


答え:海底に眠るメカキングギドラをサルベージし、その技術を応用する。

なるほど!拾ったオーバーテクノロジー技術を改修して活用するマクロス方式ですね!

100メートル超にして8万トンにも及ぶその機体をどのようにして海底からサルベージ出来たのか、そっちの方も気になるところですが、かくして対ゴジラ用の究極兵器、メカゴジラ誕生とあいなるわけです。

昭和メカゴジラに比べて良く言えば重兵器化、悪く言えばずんぐりむっくりしたその寸胴デザイン。

平成ゴジラを模したと言えばこうなっちゃうのでしょうが、1つ疑問を呈していいでしょうか?


対ゴジラ用ロボット兵器のデザインとして、何故にゴジラの姿を模する必要があった?

昭和メカゴジラは、侵略者である宇宙人が、地球のヒーローであるゴジラを模して造られたという理由が成立します。

後の三式機龍は、初代ゴジラの骨をフレームとして作られているので、ゴジラを模したようなデザインになってしまうことはしょうがないでしょう。

ですが、メカキングギドラから技術を得て作り上げられた、このvsメカゴジラはどうしてそのデザインに落ち着いた?

ゴジラと同サイズのロボット兵器を作るにあたって、なぜゴジラを模したのか?

対ゴジラというか、対怪獣用の決戦兵器としてはロボットであるなら機動性等を重視してエヴァンゲリオンや「パシフィック・リム」におけるイェーガーのようなデザインの方がより良かったのではないでしょうか。

次作、「vs.スペースゴジラ」のモゲラのデザインの方が、まだ利にかなっている気がします。

そう、本気でゴジラを倒す事を考えて、メカキングギドラから新たなロボットを生み出すのなら、メカニコングかジェットジャガーを作り出すべきだったんですよ!


「ゴジラvs.ジェットジャガー」!

み、見たくねぇぇぇぇ!

と、メカゴジラの存在価値と物語の世界観を否定しかねない、どうでもいいツッコミはさておいて、「ゴジラvs.メカゴジラ」

この辺から平成vsシリーズはおかしな方向に行ってしまいます。

まずは平成の世にもおいてもゴジラの子供が登場してしまったこと。

ゴジラの子供とはいえ、直接のゴジラの息子とか言うわけではなく、同族のゴジラザウルスの幼生個体らしいですけどね。

このベビーゴジラがかわいいんだまた。


あざといぐらいに。

ミニラをどうしてもかわいいと思えなかった僕でも、こりゃあかわいい、撫で撫でしてみたいって思えるぐらいのかわいさ。

正直言って、更にあざとさを目指したのではと思われる次作のリトルゴジラよりもかわいいと断言出来ます。

ですが、かわいさ故の弊害も出るわけで。

ベビー周りの人間たちが、愛情込めてベビーと交流するのですが、ベビーを通じてゴジラにまでその感情が移ってしまうのです。

特に顕著なのがシリーズレギュラーである三枝未希。

前作においてもモスラとバトラがゴジラと戦っている最中、一人だけ、一瞬ですがゴジラを気づかうような様子が見られてました。

今作においては、ベビーを通じてゴジラに情が移り、ゴジラを倒したくないと明確な意思表示もします。

最後の戦いにおいてはメカゴジラに乗り込んでゴジラ第2の脳を破壊する大任を担うも、引き金をひくことに躊躇するのです。

結局、引き金はひくのですが、その後、ラドンによってゴジラの第2の脳が復活していくのを知った時に喜ぶような様子を見せるんですね。

ゴジラに情が移り、殺したくないという気持ちが芽生えることもあるでしょう。

特に未希は超能力をもってゴジラに寄り添ってきたとも言える人物です。

ゴジラとは、人間の業が生み出した怪獣。


「生まれた時代が違えば、幸せだったかもしれない」
というセリフは、ゴジラについて真っ当な思いでもあるわけです。

未希がゴジラを倒すことが正しいとは思えないといった思いに傾いていったのは必然であったのでしょう。

初代ゴジラの山根博士のように。

ですが、その思いにとらわれる未希に対して、まったをかける人物がいないのです。

それこそ、初代ゴジラの主人公で山根博士の意見とぶつかりあった、尾形のようなキャラがいないのです。

確かにゴジラは人間が生み出した核兵器から生まれた怪獣。

まさしく人間の業そのものであり、人間の文明が発展する過程で生まれた被害者であるとも言えます。

人間が生み出したようなものなのに、なぜ抹殺されなければならないのか。

人間のせいで生まれてくる時代を間違えただけなのに、人間の手で殺すなんて間違っている。

ですが、一方で望んで生まれたわけではないにしろ、100メートル近い巨大な怪獣が日本に上陸しただけで、被害は甚大。

しかもゴジラが食料を求めて目指すのは原発です。

街にも土地にも、そして人にも多くの被害をゴジラが望まぬとも与えてしまうはずなんです。

そのことを未希は今作以降、思い至らなくなるし、誰もそのことを言わなくなる。

そのことが顕著にあらわれるのは次作「vs.スペースゴジラ」なのですが、今作においてはベビーを通じてゴジラの哀れさ、悲しさを訴える一方で、ゴジラによって与えられる人の痛みが感じられなくなっちゃってるんですよねぇ。

メカゴジラが敗れた後でクルーの中に死傷者一人も出なかったのも、メカゴジラ自体のクルーの生残性能の高さ故でしょうが、無事に生き残った面々が「命のある者とない者の差だった」とか言って清々しくゴジラを見送るのもなんとも。

「ヤツには、どうしても守らなければならないものがあったんだ」

って、アンタたちだって人々を絶対に守らなければならないでしょうが!

このセリフは、じゃあメカゴジラはなんのために戦ってたの?と悲しくすらなります。

人類を守るために、莫大な予算をかけて作り上げられた超巨大兵器が破壊されたのに、これはしょうがないといった風の清々しさ。

もう少し悔しがるとか、圧倒的なゴジラの前に恐れおののくとかする隊員がいても良かったと思うんですよ。

それに対して隊長が「メカゴジラは失ったが我々は生きている。この敗北を、明日の勝利への糧にしよう。人々の未来のために」ぐらい言ってほしかったもんです。

あんなに清々しく、笑顔さえ見せて終わられちゃ、何よりもメカゴジラが救われないですよ。

平成vsシリーズ、ちょっとヤバイな…って思った瞬間でした。

そのメカゴジラ。

デザインは昭和メカゴジラに比べて、ずんぐりむっくりの寸胴ボディになっており、個人的にはあまり好きになれなかったのですが、その強さは歴代メカゴジラの中でも最強ではないでしょうか。

ゴジラを一度はダウンさせて泡ふかせ、ラドンに至って泡ふかせた上に完全KO。

ガルーダと合体してスーパーメカゴジラになった後は徹底的にゴジラを追い込んで攻撃。

勝利は目前と言うところまでいきました。

ラドンから力をもらわなかったらゴジラはきっと負けていた。

そんなレベルの強さを見せつけてくれたメカゴジラ。

23世紀の技術で作られたメカキングギドラを、その技術を元にしたとは言え、遥かに凌駕した性能の超兵器であったと言えるのではないでしょうか。

ちょっと釈然としない気がしないでもないですが。

釈然としないと言えば、ラドンの力を得て復活したあとのゴジラの超絶的な逆転劇。

友情パワーを手にした後で1億パワーフェニックスを圧倒したアリステラにも通じる理不尽さを感じましたね。

せめて、そこから互角の勝負!だったら良かったなと、どちらも思ったもんです。

最後にラドン。

「怪獣総進撃」以来の復活ですが、これまでの着ぐるみタイプと違って操演タイプの造形になっているのですが、見た目からして非常に硬い。

悪く言えばオモチャかフィギュアにしか見えないんですよ。

この「vs.メカゴジラ」と同じ年に、実は「ジュラシックパーク」が公開されているんですが、ジュラシックパークの恐竜たちを見たあとだと、着ぐるみのゴジラやメカゴジラはともかく、このラドンは厳しかったなぁ。
まだ昭和シリーズの着ぐるみラドンの方が随分良かった。
動きも硬く、かつてのクモンガや昭和モスラに昭和メカゴジラ、ビオランテで見られたような緻密な操演技術が感じられません。


まぁ、ドラットに比べれば全然マシですけど。

そして今作のラドンは全シリーズにおけるラドンの中で唯一、火を吐く飛び道具を手にしています。

前作のモスラに続いての飛び道具の実装。

全員が飛び道具を持っている「ストⅡ」なんて面白くないでしょ?

ザンギエフやエドモンド本田がいるからこそ面白いわけで。

だいたいにしてラドンの武器は口から吐くウラニウム熱戦などではなく、その超スピードによる衝撃波、ソニックブームなんだって!

かつてはゴジラと対等の存在であったはずのラドンですが、平成の世においてはゴジラ、メカゴジラの前座的な扱いにはじまり、かつての空の大怪獣の面影は姿を潜めていってしまうのです。

それは、ハリウッド版最新作、「ゴジラKOM」でも変わることなく。

ああ、ラドン…

ゴジラVSメカゴジラ
高嶋 政宏
2014-04-23


Amazonプライム・ビデオ
Amazon.com
2019-09-12


コメント

  1. A-chan より:

    こんばんは。
    VSシリーズ昭和の焼き直し3部作の最終作「ゴジラVSメカゴジラ」。本作ではメカゴジラが人間側の対ゴジラ兵器として登場しますが、わざわざゴジラ型にする必要性があるのかを考えると、ちょっとこじつけがましい設定ですね(苦笑)。
    それと本作に登場する青木一馬氏ですが、彼は前作の藤戸拓也氏と同様「自己中」と「非常識」が服を着て歩いているような人物ですね(汗)。決してヒーロー物の主役にはなれない、なってはいけないキャラクターです(それが困った事に主役なんだな・・・・・・)。まあ後に、ピンチのメカゴジラをスーパーメカゴジラにしてGフォースに貢献してくれますが(^^)。
    それにしても、本作のGフォースメカゴジラは一時的とはいえゴジラを完全に倒した最強の兵器ですね。これも未希ちゃんの能力あってのものですが、結局その後は・・・・・・。
    本作ではベビーゴジラの登場で平成のVSゴジラは昭和同様「子連れ」になってしまうのですが、2匹の関係は「親子」というよりは「兄弟」・・・・・・いや、年齢の離れた「仲間同士」といった感じに見ております(ちなみに、昭和ゴジラの方も成り行きでミニラの育ての親になった感じで見ております)。
    対ゴジラ兵器を撃破されたGフォースのメカゴジラチームの面々ですが、去って行くゴジラとベビーを見ながらどこか落ち着いているのは、ゴジラが満身創痍なのと子育てで忙しくなるから当分は出現しないだろうという安心感かもしれませんが、梓さんや未希ちゃん同様ゴジラとベビーに情が芽生えたのかもしれませんね。
    それでも、いざゴジラが都市部に出現したら次の兵器で迎撃する覚悟はあると思います。本作のゴジラ同様、自分達にも守るべきもの(人間社会)があるのですから。
    http://plaza.rakuten.co.jp/achachan

  2. たけG より:

    >>A-chanさん
    こんばんは。
    今作のずんぐりむっくりのメカゴジラは、たしかにメカゴジラシリーズ最強の兵器かもしれませんね。
    人間臭く、傷つくことも多かった昭和ゴジラや、一部を除いてそれほど強くはないミレニアムゴジラに比べて、もはや神の領域までいってるvsゴジラをあそこまで追い詰めたんですから。
    ラドンがあの場にいなかったら、ゴジラはヤバかったでしょうね。
    同程度の性能を有するはずのモゲラには、そこまでの強さを感じなかったのですけど。
    それと今作のベビーゴジラはたしかにゴジラという個体の子供ではなく、放射能を浴びて怪獣ゴジラに変異する前のゴジラザウルスという同一種族の幼体であり親子ではなく同族の仲間と呼んだ方が近いでしょうね。
    同族同士、一緒に暮らすべきとの思いからゴジラの下に返された(?)ベビーですが(ベビーがゴジラにビビるシーンがまたかわいいんですよね)、ベビーはあくまでゴジラザウルスの幼体であり、ゴジラではなかったはずなんですよね。
    それがゴジラの下に返されて、一緒に天然ウランが豊富なアドノア島で暮らすようになり、島の放射能と、おそらくはゴジラからも発せられる放射能を浴びて巨大化し、最後にはゴジラになってしまう…
    ゴジラにとっては住みづらいこの世界、ゴジラザウルスのままで梓のもとで過ごしていた方がデストロイアと戦うこともなく、穏やかに暮らせたんじゃないのかなとも思ってしまうのです。
    (ジュニアとなったベビーが、ゴジラがメルトダウン爆破して放出された放射能を吸い込んで東京が救われたという事実もあるんですけどね)

タイトルとURLをコピーしました