どーも、たけGです。
平成vsシリーズと比べると、どうにも評判が芳しくないような気がするミレニアムシリーズ。
一発目である前作からしてアレでしたからね、大きく出だしで大きくつまずいてしまったことも大きかったかもしれません。
「G消滅作戦」という副題がついた今作は、それではやっぱり前作でゴジラが東京を火の海にして終ったその後の物語かと思いきや、そうではなく、再び世界をリセット!
平成vsシリーズ以前どころか、前作「ゴジラ2000ミレニアム」をもなかったことにしての再スタート。
決して本当に前作を無かったことにしようとしたわけではないと思いますが…。
つまりは1つ1つの作品を世界観を共通するシリーズものとして展開するのではなく、それぞれが独立した世界観のもとで作られていくのがミレニアムシリーズのスタンスになっているわけですね。
ゲームで言えば「ファイナルファンタジー」式と言いますか。
1つの作品ごとに独立した世界の物語を描くスタイル。
(ミレニアムシリーズ唯一の続編ものである「ゴジラXモスラXメカゴジラ」は「FFX-2」みたいな感じかな)
vsシリーズが好きだった人からは不評なポイントの1つかもしれませんが、シリーズものは回を重ねるごとに前作からの矛盾や齟齬が生まれるのが常なので、こういった路線は歓迎すべき点かもしれません。
そのようにして世界観をリセットされて製作されたためか、これまでのゴジラ作品と比べてかなり振り切った世界を描いています。
「ゴジラの逆襲」以降の、これまでのシリーズ作品と同様に、ゴジラが既に存在している世界ではあるのですが、前作まではそのゴジラが初代のオキシジェンデストロイヤーで死んだ個体に続く2匹目のゴジラであったのに対して、今作のゴジラは1匹目のゴジラが死なずにそのまま生存しており、たびたび日本を襲撃しているという設定。
つまりは初代「ゴジラ」をもリセットしながら、でもゴジラは日本に現れていたんだよ、という世界観になっているのです。
ゴジラの襲撃で大きな被害を受けた東京から、首都が大阪に遷都されており、大阪城のバックに国会議事堂があるという奇天烈極まりない日本の姿。

橋本元大阪府知事の大阪都構想の遥か先を行く発想に、当時の大阪府民の方は喜ばれたのでしょうか。
関西出身のゴジラ好きな知人はいなかったものでその気持ちは測り知れませんが、これが福岡だったならどうだったかな?
やっぱり喜んだかな?
そしてゴジラが当たり前に存在する世界ということで、対ゴジラ組織であるGフォースならぬGグラスパーが存在しています。
ゴジラを消滅させるために実行する最終手段が、人工的にブラックホールを発生させ、そこにゴジラを吸い込ませようという、オキシジェンデストロイヤーや抗核バクテリアなどの架空の技術によるものを3段飛びで飛び越えていきそうな超トンデモ兵器、ディメンションタイド。
さらには新怪獣メガギラス誕生に関連して水没してしまう東京、渋谷。
GフォースみたいなGグラスパーはさておいて、どれもこれも従来のゴジラ映画ではあり得ない要素や設定のオンパレード。
荒唐無稽と言っても差し支えないほどの方向へ舵をきったなぁとも呼べる異色作になっております。
ではその思い切った方向性が良かったかと問われれば、うーーーん、という感じで。
総じて何だか安っぽいんですよねぇ。
ファンタジーになりきれていないと言うか。
まずは主人公が属するGグラスパーからして強烈な違和感しかなくて。
vsシリーズのGフォースと比べても、何だかウルトラ警備隊かZATかという感じで、ウルトラシリーズを見ているような錯覚を覚えます。
そしてGグラスパーの兵器であるグリフォンの、なんとチープなことか。
みんなビックリの大阪への首都変更ですが、それがそこまで今作の物語に絡んでこないのも残念というか、もったいないというか。
確かに大阪城のバックに国会議事堂という絵はインパクトがあるんですけどね、それだけ、という感じで。
公用語が関西弁になっているわけでもないし、主要キャラの誰一人として関西人であるというような匂わせもないし。
メガギラスが水没させる街も東京の渋谷であり、ラストのバトルのステージもお台場であるので、なんだか設定以上に、首都が大阪になっている必然性があまり感じられないんですよ。
物語の舞台が通じて大阪であり、せめて主人公の辻森か工藤のどちらかが関西弁を喋るキャラだったりしたのならまだ違ったのかもしれませんけど。
そしてその水没する渋谷もまたもったいない。
キャラクターについて。
ゴジラシリーズ初の女性主人公との謳い文句の辻森隊長ですが、「ゴジラvs.キングギドラ」のエミーも主人公扱いではありませんでしたか?
ということはさておいて、この辻森女史、ゴジラへ激しく敵意と憎しみを抱いて立ち向かう勇ましい女戦士として描かれています。
彼女がゴジラをそこまで憎むのは、かつてのゴジラ襲撃の際に尊敬していた上司がゴジラとの戦いの最中に命を落としてしまったから。
ゴジラは尊敬する人の仇なわけですよ。
大切な人が怪獣によって命を落とすのを目の当たりにしたことでその怪獣を憎むようになるという背景は、「ガメラ3」の綾奈に通じるものがありますね。
「ガメラ3」で綾奈がガメラを憎むようになったのはガメラとギャオスの戦いで両親が在宅していたマンションが倒壊したのを目の当たりにし、それがガメラによるものと見えてしまったのがありました。
綾奈にはどうすることも出来ず、ただ両親を殺したガメラを憎むしかなかったのです。
対して今作の辻森がゴジラを憎むようになるのは綾奈と似ているようで、ちょっと、いやかなり違います。
彼女はゴジラと戦うべき自衛官であり、その上司もまた同様。
死を賭して人々を巨大な怪獣から守るため、その戦場に身を置いていたわけで死とは常に隣り合わせであったはず。
そんな戦場の最中において命を落とした人たちのためにも生き残った自分が代わりに人々を守るんだ!という想いからだとは思うのですが、ちょっとゴジラへの憎しみが執拗すぎると言いますか、それがどこかちょっと腑に落ちない感じもするんですよね。
と、言いますのも、この上官が命を落とした理由って、彼の撤退命令にすぐに従おうとしなかった辻森のせいでもあるんですよね。
上官は、この場ではゴジラに対してなす術ないことを判断し、部下たちのこれ以上の被害を出さないよう、撤退命令を下します。
なのに辻森一人がその指示に従わずにゴジラへ一矢でも報おうと残って戦おうとしたんです。
辻森はその命令を不服とし「あと一発!」と食い下がろうとしたため、ゴジラが迫る中、辻森と上官は逃げるのが遅れ、ビルの倒壊から辻森を庇い、彼は命を落とすのです。
つまり、辻森が撤退の指示に最初から素直に従っていれば、上官も死なずに済んでいたかもしれないわけで。
(ちなみに余談ですが、この命を落とす上官役は永島敏行さんが演じているので、レギオンとの戦いで奮闘し、生き残ったのにこの女のせいで!なんて思っちゃったりもします。渡瀬さん…いや、宮川隊長か)
ま、ゴジラが上陸していなければ上官を含めて多くの人々が命を落とすこともなかったので、総じてゴジラへの憎悪に繋がったとも言えなくもないですが、ゴジラのせいにしないと自分のせいで上官が死ぬことになってしまった自責の念から逃げているだけのようにも思えるんですよねぇ。
こうして見比べてみると今作の責任逃れともとれる辻森と、「ガメラ3」の憎しみに囚われるしかなかった綾奈の心情はまるっきり違うものだということがわかります。
他にもまだテストも満足にしていないディメンションタイドの失敗についても、反対する工藤や吉沢に対して、「私は博士たちを信じます」と言っていたのに、いざ失敗となると、工藤の操作のせいだと責めるなど、自分の判断ミスは一切認めずに基本、他者のせいにしています。
これは、絶対に一緒に働きたくない人ですよ。
こんな人が上司になったら大変。
工藤はこんな彼女のどこを好きになったのかが不思議でしょうがないのですが。
まぁその工藤も工藤で問題のあるキャラではあるんですが。
当時人気絶頂だったキムタクの演技に影響を受けてそうなキャラ作りが妙に鼻につきます。
そして空気を読めない言動の多いこと。
およそこちらも感情移入し難いキャラになっており、主人公2人揃って受け入れ難い背景や性格の持ち主であり、この2人を主軸に進む人間ドラマはどうにも面白くありません。
あと、メガニューラ大量発生と渋谷水没の元凶とも言える、昆虫博士の淳くん。
ゴジラ映画に出てくる子供にしては珍しくおとなしめな性格の持ち主で、あまりしゃしゃり出て来ません。
っていうか、後半はびっくりするぐらい話に絡んでこない。
好奇心からメガニューラの卵を拾い、引っ越し先の東京まで持っていくも、気味が悪くなり持て余してしまって、下水に捨ててしまう。
バイバインで増え続ける栗まんじゅうを、どうすることも出来ずにゴミ箱へ捨ててしまった、のび太くんの心境と似ているものがあり、好奇心や欲が先に勝つ、子供が陥りやすい心理の落とし穴でもありますね。
以上、長々と気になったことを書き連ねたように、世界観の持て余しや、特撮のチープさに加えて、なんといっても人間ドラマのダメさ加減が、この映画の評価をとても落としてしまっていることは否めませんが、実を言いますと、個人的には今作はどちらかと言えば好きな方なんです。
それはなんと言ってもゴジラと人類の戦い、そこに割り込んでくるメガギラスを巡る映画の核の部分の面白さにあります。
今作のゴジラは徹頭徹尾、人類の敵、脅威として描かれており、そのゴジラと人間の戦いが軸になっています。
ゴジラという巨大な災害のような怪獣にどう立ち向かうか、前作ではリアルに描こうとして上手く描けていなかったゴジラと人間の戦いを、ディメンションタイドやGグラスパーといったなんでもアリのファンタジーな世界観で描くことによって上手く描けていると思います。
とにかくテンポがいいし、ゴジラに対処しているGグラスパーの面々の緊迫感も伝わってきます。
そこへ予期せず乱入してくる新怪獣メガギラスもまたいい。
最初、今作の新怪獣が昭和の作品「空の大怪獣ラドン」にてラドンのエサだったメガヌロンの成体メガニューラの究極進化した怪獣だと知った時には疑問符しかつかなかったもんです。
なんでラドンのエサにすぎなかった昆虫がゴジラとタメはる新怪獣になりえるのかと。
ですが実際にメガギラスを見て、これは良い怪獣だと納得。(役不足かどうかは置いておいて)
まずメガニューラの群体とゴジラのバトルは、「vs.デストロイア」では「ガメラ2」のレギオンと比較され、失笑をかうこともあったゴジラと小さな群体の戦いを見事に表現できていました。
そして究極体となったメガギラスがまたいいんですよ。
昭和の名昆虫怪獣にして操演怪獣としても名高いクモンガに匹敵する完成度。
平成モスラや、デザイン的に似ているバトラと違って、ビームなどの非生物的な飛び道具は実装しておらず、針と噛み付き、体当たりといった格闘戦を軸にした戦いオンリーで、実に昆虫らしい。
トンボのように(って言うかトンボですが)、旋回しながらゴジラの周囲を回って翻弄しつつ、針の一刺しを狙う、ある意味原始的な戦法が、超常的な能力をもつ平成の怪獣たちの中で逆に新鮮でした。
また、人間側がディメンションタイドやプラズマエネルギーなど、ツッコミどころ満載なトンデモ科学のオンパレードなのに対して新怪獣メガギラスは原始的な怪獣という対比がまたイイんですよ。
なにより、このメガギラスがいいのはその退場の仕方。
明らかにゴジラに対して体も小さく、飛び道具も持っていないのに果敢に挑み続けるメガギラス。
これは勇気をもって挑んでいるかと言われれば、否。
メガギラスはただ、ゴジラの強大なエネルギーを食したいだけの本能をもってゴジラに近づいていくんですね。
群体のメガニューラも同様。
焼かれても焼かれても1匹でも多くゴジラに取り憑こうとする。
これは勇気と呼べるだろうかねえ?
とツェペリさんに言われてもおかしくないくらいの、生物としての本能のみでゴジラに挑むメガギラス。(そこがまあいいのですが)
ただやっぱり怪獣王ゴジラに挑むには無謀というか、役不足と思わざるを得ない部分があるのですが、ラストはあっけないくらいにあっさりと退場してしまいます。
「落ちろ!カトンボ!」
ですが、このやられっぷりも昆虫怪獣らしくてまた良い。
メガギラスが最初に発表された際の、「メガニューラが怪獣化したような奴で大丈夫なの?」という多くの人が感じた懸念を、ゴジラ自らが「お前じゃ役不足だよ」と言わんばかりに体現してみせてくれたのが非常にスッキリしており、逆に良い退場シーンとなっております。
そこをわきまえてるかのような潔い退場シーンも含めて、ゴジラとの肉弾戦中心の立体的な戦闘は、シリーズの中でも屈指のベストバウトだと思ってますし、それ故に、メガギラス自体もいい怪獣だと評価しています。
そして、改めて総括するに今作の開き直ったかのような世界観の構築は、批判も多いですけど、これまでのゴジラ映画かくあるべしといった様々な暗黙の了解を取り払って、どんな世界観でゴジラを描いてもいいんだという壁を取り払った作品だと思っています。
今作があったからこそオカルトじみた次回作や、なんでもアリの「ファイナルウォーズ」があってもいいんだという土壌になったんじゃないかなぁとさえ思えるんです。
そう考えると、ガンダムでいうところの「Gガンダム」のような位置になる作品なのかもしれません。
これで本当に登場人物たちがもうちょっとでいいので魅力的に描かれていて、人間ドラマが面白かったのなら傑作になっていたかもしれないんですけどね。
ホント、惜しい作品です。
コメント
明けましておめでとうございます。
遅い挨拶になりましたが、如何お過ごしですか?令和2年最初の書き込みになりますが「ゴジラ×メガギラス」は、あのラドンの餌に過ぎなかった虫がゴジラの対戦相手として大出世する映画ですね。私は大阪人ですが、大阪が首都になるのはちと違和感が・・・・・・(汗)。でも、東京が壊滅してしまったらこうなるのかな?
ところで本作に登場する辻森桐子さんはゴジラシリーズ初のバリバリの「戦うヒロイン」ですね。対ゴジラ兵器を操縦して最前線で戦う女性キャラは何人か出てきましたが(エミー・カノ―さん、キャサリン隊員、家城茜さん。三枝未希さんもゴジラの第二の脳を探知する為にメカゴジラに搭乗した事あり)、体1つで武器を携え最前線でゴジラに勝負を挑んだ女性キャラは今のところ彼女だけでしょう。
本作では女性であるところをあまり出さない人なので、アニメのキリコちゃんが可愛く見えました(笑)。辻森さんがゴジラ打倒に執着するのは、責任転嫁では無く尊敬していた上官に対する贖罪、ゴジラを倒す事で上官に報いようとする気持ちだと思いますので、私にはそんなに彼女に対して嫌な気持ちは無いです。
本作では皮肉にも対ゴジラ兵器であるはずのブラックホール砲がメガギラスという新たな脅威を呼び寄せてしまうのですよね。で、両者が倒れた後には新たなゴジラの影が・・・・・・(生きていたのか、別個体なのか?)。
これはゴジラとの共存を否定して殲滅しようとした事に対する報いなのでしょうか?前作からのテーマが尾を引いているのでしょうか?
遅くなりましたが、昨年は私の拙い書き込みに丁寧なお返事を頂き、どうもありがとうございました。では、今年もよろしくお願いします。
http://plaza.rakuten.co.jp/achachan
>>A-chanさん
あけましておめでとうございます。
こちらこそ、こんなどうでもいいことにツッコミばっかりいれているブログに丁寧なコメントをいただきまして、ありがとうございます。
そうなんですね、大阪に住んでいる方からしても大阪への首都移遷は違和感があるんですね。
例えば僕の住んでいる福岡で、福岡タワーの後ろに国会議事堂が建っていたりしたら、違和感しか感じないだろうなぁとも思っていたんですけど、やっぱり実際目の当たりにした大阪の方からもそうなんですね(苦笑)
今作のラストは、人間側がゴジラを倒すことに成功した!というシリーズの中で数少ないエンドを迎える作品でしたが、結局はゴジラがまた姿を現したというような描写で幕を閉じました。
ゴジラは消滅していなかったのか、はたまた2匹目のゴジラなのか?
今回のゴジラは初代ゴジラが死なずに度々日本に現れているという設定なので、芹沢博士とオキシジェンデストロイヤーも存在していない世界、もしくはオキシジェンデストロイヤーをもってしてもゴジラが死ななかった世界なのかもしれません。
人工的にブラックホールを生み出すようなトンデモ兵器だったとしても、そこへ利益追求の欲望を絡めていくといった同じ過ちを繰り返していくような人間の作り出したものでは、所詮ゴジラには太刀打ちできなかったということなのかもしれませんね。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。