日本の特撮映画を代表するモンスターと言えば、誰もがゴジラを思い浮かべると思います。
それではその他の怪獣と言えば?
ゴジラと同じ東宝怪獣ならモスラやキングギドラが挙がるかもしれませんし、ピンで映画に出演したラドンやバランが挙がるかもしれません。
ウルトラマン好きならゴモラやレッドキングあたりが挙がるかもしれませんし、コアすぎる特撮ファンならガッパやギララを挙げるかもしれめせんね。
ですが、おそらくは大多数の人が、ゴジラに次いで挙げるとすればやっぱりガメラじゃないでしょうか。
ゴジラと双璧をなす大怪獣として名を馳せ、昭和の時代に8本ものシリーズ作品が世に出てます。
「ゴジラ対ガメラ」は未だ実現していない夢のカードですが、子供時代に怪獣映画を通ってきた方なら、誰もがどちらが勝つかなんて語り合ってきたことだと思います。
ですが、昭和シリーズにおいては、それでもやっぱりガメラはゴジラに対する亜流といいますか、ゴジラの人気を受けて生み出された柳の下のドジョウ的なレッテルを拭えて無かったのではないでしょうか。
古きよき怪獣映画を語る時に、例えそれが「対メガロ」であってもゴジラシリーズなら熱く語れたもんですが、ガメラシリーズになると、え?ガメラ?(笑)みたいな雰囲気になったような記憶もありまして。
そんなガメラも、やはりゴジラに倣ってか平成の世に復活しました。
いわゆる平成ガメラ3部作。
最初に一報を聞いた時には、今更ガメラって(笑)みたいな感じで、平成の世でも柳の下のドジョウ再びか、ぐらいに甘く見ていたもんです。
ところが蓋を開けてみるとまあビックリ。
「ガメラ 大怪獣空中決戦」のハンパない完成度に唖然。
続く「ガメラ2」、「ガメラ3」と、その質を落とすどころか向上させ続け、日本映画史に残る大傑作となっていたのです。
個人的には平成ゴジラで平成ガメラに比肩できると言える内容のものは「vs.ビオランテ」と「シン・ゴジラ」だけだとさえ思っているぐらい。
まあ興行成績的にはゴジラシリーズに及ばなかったようですが、内容的には同時期に公開されていたゴジラシリーズを圧倒していたと思います。
(「デストロイア」がもうちょっと良かったら、タメはれてたかもしれないんですけどねぇ)
そんな平成ガメラシリーズを手がけ、ゴジラ派だった僕やその他大勢の特撮ファンを唸らせた人こそ、金子修介監督であります。
前置きが非常に長くなりましたが、今作、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(長いので、これ以降は「GMK」と略します)は、その金子修介監督が手がけたゴジラ映画。
そして、現時点で昭和から令和にかけてゴジラとガメラの2大怪獣映画の監督を経験した、唯一の監督さんであります。
そんな金子監督がメガホンをとった今作について。
感想を一言で述べるなら、
この映画は大傑作です。
とても面白い。
この面白さだけならシリーズ屈指の作品です。
ですが。
この作品には無視できない大きな問題点を抱えているんです。
どうしても無視できない大きな問題点を。
まぁ当ブログのゴジラ関連の記事を読んできてくださっている方なら想像つくかもしれない、あの問題なのですが。
とりあえず、その問題点は置いておいて、まずは映画の方について語っていくとしましょうか。
この映画はまず、シリーズの中ではかなり異質な部類に入る作品です。
従来のゴジラ映画と比べると、神話や伝承といった要素に加えてオカルト的な要素も多分に含まれています。
この辺は恐らく、平成ガメラ3部作において、神話的要素や超古代文明といった要素を盛り込んだ金子監督ならではの彩りであると思われます。
これが今作と従来のシリーズの一線を画している要素なのですが、不思議と違和感ありません。
って言うか、このオカルトじみた物語が実に面白い。
今作は前作と同様、再び世界観をリセット。
首都が大阪に遷都されたりしていない、初代ゴジラから続く世界。
50年前に日本に上陸したゴジラを防衛軍が撃退してからその後は2匹目のゴジラも、他の怪獣も現れていない世界を描いているのです。
それは、ゴジラの日本襲撃から世代も変わり、ゴジラの恐怖を知らない子供たちが大人になって平和ボケした日本の姿。
現在の、戦争を知らない日本の姿とダブります。
退治されたゴジラの話を聞いても軽く「かわいそう〜」と言ったり、目の前を歩く怪獣を見ても「かわいい〜」と言って記念撮影するような若い人たち。
それは、平和ボケしていると言われるのかもしれないけれど、それがまさに平和な日本のあるべき姿なのかもしれません。
そして、今作はゴジラからその平和な日本を守ろうとする人々の物語であり、日本というクニを護ろうとする怪獣たちの物語なのです。
今作の立花准将のセリフ、「実戦経験の無いことこそ、最大の名誉だと思っていました」はまさに今作のテーマを語っていると思います。
そんな人々の平和や、自然豊かなクニを脅かすのが今回のゴジラさん。
今作のゴジラはとにかく怖い。

ただですね、初代とは、怖さの質がかなり違う。
初代ゴジラは核実験によって生まれた生物であり、その恐怖は怪獣という得体の知れないモノに対するものであると同時に核兵器や戦争に対する恐怖であり、それが反戦反核へのメッセージへとつながっていました。
対して今作のゴジラも反戦反核へのメッセージを織り交ぜつつ、放つ恐怖の質が違います。
今作のゴジラが従来のゴジラと異なる最大の点は、”本能”ではなく明確な”意思”を持って日本を破壊に来るというところではないかと思われます。
そして、とても高い知性が感じられるところ。
シェーをしたり、若大将のマネをした昭和ゴジラもある意味知性が高かったとは思いますが、今作のゴジラはかなりの判断力の高さを示してくれます。
狡猾といってもいいくらい。
このゴジラが本当に怖くて、かつ憎らしくて。
これまでのシリーズでもゴジラによって命を落とす人々は数知れずいたとは思いますが、直接の描写はそこまで見られませんでした。
直接ゴジラによって命を落とした描写が見られるのは初代におけるテレビレポーターや、「vs.ビオランテ」の権藤一佐、「vs.キングギドラ」の新堂会長くらいではなかったでしょうか。
しかし、今作においては次々とゴジラによって人々が容赦なく殺されていきます。
ゴジラの進行に巻き込まれて死亡、ではなく、明確に放射熱線や尻尾を当ててくるんですね。
この辺は平成ガメラシリーズの金子監督ならではの描写ですが、それを今回のゴジラが行うと本当に怖い。
vsシリーズの三枝未希がここにいても、このゴジラとわかりあおうとはさすがに思わないのではないでしょうか。
そんな今作のゴジラの正体は、ただ核実験で生まれた悲しい怪獣というだけではなく、太平洋戦争で命を落とした人々の怨念の集合体であるという設定が加わっています。
その怨念の集合体、ゴジラが戦争を忘れ、平和ボケしている日本を破壊しに来るのです。
故に相手が防衛隊員であろうがなかろうがお構いなしに破壊と殺戮を繰り広げるゴジラ。
入院中で1人取り残された女性が、眼前に迫るゴジラを目の当たりにして、焦り、諦めの境地で笑い、何事もなくゴジラが通り過ぎたと思ってウルトラリラックスしたその瞬間に、尻尾の一撃で病院もろとも圧殺する非道っぷり。
このゴジラの非道っぷりは人間に限らず、クニを護ろうとする聖獣たちにも向けられます。
モスラを焼き尽くし、キングギドラをミサイルの盾とする。
特にバラゴンのやられっぷりは目も当てられないくらい。
やられてもやられても、バラゴンは2倍近い体格をもつゴジラへ果敢に挑み続けます。
これは前作のゴジラのエネルギーを欲するための本能的な行動だったメガギラスと違って、ヤマトのクニを護るため勇気をもって巨大なゴジラに挑んでいっているのですが、あまりの体格の違いにゴジラに痛ぶられるだけ痛ぶられて健闘虚しくやられてしまうんですよ。
バラゴンだけではありません。
かつてのゴジラの盟友モスラも、かつてのゴジラ最大の強敵キングギドラすらもゴジラは憎々しいほどに蹂躙するのです。
そんなゴジラへ立ち向かう人々のドラマも、前作と比べて全然良く描かれており、見ていてとても楽しめました。
演じる俳優さんたちの演技力が少々気になる点もありましたが、果敢にゴジラに立ち向かう立花准将をはじめとする防衛軍の方々、そんな防衛軍や聖獣たちの戦いぶりを一生懸命レポートして、人々に届けて希望を与えようと奔走する由里。
各々に出来ることで日本を、人々をゴジラという絶望から守ろうとする姿勢がひしひしと伝わってきます。
護国三聖獣と絡んで登場する死神博士、もとい伊佐山教授もいい味出してます。
今作はゴジラという脅威や、ゴジラがもたらす人々への絶望という名の恐怖が良く伝わってきて、それに立ち向かう人々の戦いが鋭く描かれており、本当に面白いと断言出来るゴジラ映画へと昇華しています。
超傑作の平成ガメラ3部作を超えたかと言われれば、そこは難しいところではありますが、さすが金子修介監督と思わざるを得ない臨場感と緊迫感に満ち満ちた怪獣映画の傑作ではあると思っています。
ゴジラ映画中、シリーズ屈指の名作と呼んでもおかしくはなく、個人なランキングのトップ3に入るのは難しいけど、トップ5は争えるんじゃないかなと言える作品なのですが…
個人的ランキングではベストではなく、ワーストの方に入れてしまってるんですよねぇ…
その理由が、冒頭にも書いた今作最大の問題点にあるわけで。
その問題点とはなんなのか。
ズバリ、キングギドラの扱いにあります。
そう、今作のキングギドラ最大の問題は、最後の散りざまなんですよ!
ラストバトルで千年竜王キングギドラは持てる力を全て引き出し、
そう、前作のメガギラスのようにやられてしまうんです。
って言うか、あんな昆虫と違って、ゴジラに一発でやられて、爆発四散するような怪獣ではないはずなんですよキングギドラは!
大体にしてジャケ絵の時点でもう違うんです!
とまあ、この辺は個人的な宇宙超怪獣キングギドラへの歪んだ愛ゆえのスネ夫っぷりだけなのですが、ここでいう問題点というのは、本来のこのゴジラに立ち向かい、なす術なくやられるという役回りはキングギドラ(とモスラ)ではなかったはずらしいのです。
本来、金子修介監督が最初に考えていた護国三聖獣は、キングギドラ、モスラ、バラゴンではなく、アンギラス、バラン、バラゴンの3匹だったそうなのです。
まあなんてシブいお三方。
バランなんて、かつての「怪獣総進撃」でも出てたかどうかわからないくらいのポジションだったのに。
ポジション的にバラゴンは変わらないとして、バランがモスラ、アンギラスがキングギドラの役回りの予定だったのかな。
配役(?)の変更によって多少の内容の変更もあったとは思いますが。
この3匹がゴジラ相手になす術なくやられても、それはそこまで不自然ではないだろうし、バラゴンを応援したようにバランにもアンギラスにも「頑張れ!負けるな!」と身を入れて応援できたはずです。
それがその役回りがキングギドラになっちゃってるもんだから、応援するしないの前に、「こんなのキングギドラじゃねぇぇ」という思いが勝っちゃうわけですよ。
なぜこんなことになってしまったのか?
当初のプロットを見た東宝の偉い人たちが
「ああ、それじゃダメだね。お客、入んないよね」
と却下し
「ここはやっぱり売れるコを入れとかないと」
ということでアンギラスとバランからキングギドラとモスラに差し替えられたという経緯があるようなのです。
確かにアンギラスとバランじゃとっても地味なのに対して、キングギドラとモスラなら非常に華があります。
アンギラスとバランがJ.J.ジャックスならば、キングギドラとモスラは闘魂三銃士の一員というぐらいの差があると言っても過言ではないでしょう。
客を呼べるパワーが違う。
(この90年代プロレスネタがどこまで通用するかもわかりませんが)
それでもね!
プロットの段階で明確な破壊者であるゴジラに対抗する三聖獣の一匹として、客を呼べるからキングギドラで行こうだなんて、キングギドラのことを客寄せパンダ的にしか捉えてないんじゃないですか⁉︎
今回は「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」についてその思いを綴ってみました。
あ、いや庵野秀明監督で「シン・ゴジラvs.キングギドラ」を撮って欲しいとも思うな。
『シン・ゴジラ』vs.キングギドラじゃないですよ!
シン・『ゴジラvs.キングギドラ』ですよ!
今回はこの辺で。
いつかまたここで会いましょう。
コメント
本作のゴジラが強いってよく言われるがそんな強いか?と思わんでもない、バラゴンに僅かな間ながら手こずったり、モスラとギドラのタッグにはギドラがやられるまでは苦戦してるし、千年竜王にも苦戦してるし、、、まぁ、熱線は強いのか?確かに強いが、fwの奴のハイパースパイラル熱線みたいな一撃使うのにエネルギーとか多く使うのかな、と、映画とは関係ない話ばっかしてしまった。
個人的には護国聖獣には属性まとって出てきて欲しかった、後、千年竜王よそれで怯むなよ、今回のゴジラはなんというか破壊者というよりホラー的な怖さが入ってますよね白目とか、なんかゴジラらしくはないんですよね映画の出来はいいけど、後はもっと怪獣を大きくして欲しかった。
>山々さん
さすが平成ガメラシリーズの金子修介監督だけあって、映画そのものは面白いんですよね。
だけど、いろんな点でゴジラらしくないというか、FW以上の異端児だと思います。
確かにゴジラの存在がホラーというかオカルトっぽさが出てるし、相手がどうしようもない奴で子犬のピンチだったとはいえモスラが人間襲うし。
何よりもキングギドラの設定改変とピンのゴジラにやられてしまうところが、どうにも一番受け入れられなかったんですよねぇ。
モスラ3の鎧モスラとかkomのバニゴジとかfwのカイザーinゴジラ(こいつはカイザーギドラだけど)とか、納得できる演出があればいいんですけどね、それにこいつらはその前に相手を一度は敗北寸前に(モスラ3のやつに至ってはエリアスのロラが洗脳されてたとはいえ(なお洗脳したのはギドラ)完勝してるし)おいやってるからなぁ…
>山々さん
そうなんですよ!この千年竜王に関してはモスラの助力まで得て完全体になったのに最後は爆発四散させられる惨敗っぷりで、歴代ギドラの中で一番ありえない敗北してるんですよねぇ。
vsキングギドラの初戦で敗走した時は、未来人のコントロールが解けて本来のペット怪獣ドラッドの性格に戻ってしまったとの言い訳がまだ出来たのですが(だからあのギドラは紛い物だとも思うのですが)、こちらは言い訳のしようがなかったのが残念でした。