ファミコンの思い出語り。これまでの僕の人生を決定づけた伝説のゲーム機のお話し。

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ファミコンというゲーム機を遊んだことがないなら早く遊んだ方がいいぜ。

僕の血はそいつでできてる。

13歳の細胞に流れ込んだまま、まだ抜けきれちゃいない。

そんな、小さな恋のメロディの歌い出しっぽく始める今回のお話し。

どーも、たけGです。

昨日の7月15日はファミコンの日だったそうで。

ファミコン発売から43周年らしいですよー。

(上のイラストは41周年の時のものです)

43年!

ただただびっくりですね〜。

僕もおっさんになるわけだ。

ファミリーコンピュータ、略してファミコン。

いや、今ではファミコンの名前の方が主流で、ファミリーコンピュータの正式名称を知らない方も多いかもしれません。

ゲームを遊ばない方でもファミコンの名前は知っているとは思います。

むしろゲームを遊ばない方からすればスーファミもメガドラも PCエンジンも、おそらくはプレステやサターンの時代ぐらいまではゲーム機はみんなファミコンだったのではないでしょうか。

ファミコンは1983年7月15日に発売された任天堂の家庭用ゲーム機。

発売からあっという間に家庭用ゲーム機市場を席巻し、国民的なゲーム機になり日本のゲーム市場の礎を築いたと言っても過言ではないゲーム機です。

まぁこんなことは僕がわざわざ説明しなくてもゲーム好きな方からすれば周知の事実だと思うので一般的な話はこれぐらいにしておいて。

我が家にファミコンが導入されたのは発売から結構経った後でした。

既に大人気の「スーパーマリオブラザーズ」が発売されていたから、発売から2年過ぎたあたりの頃だったのでしょうね。

それまでもゲーム機は我が家にあったのですが、買ってもらえてたのはエポック社のカセットビジョンというゲーム機。

それもカセットビジョンJrという廉価版のハードでした。


よくよく調べてみるとカセットビジョンJrって、ファミコンとほぼ同時期に発売だったんですね。

なのに我が家で買ってもらえたのがファミコンではなく、カセットビジョンJrだったってのは、多分それぞれのお値段だったんじゃないかなぁ。

ファミコンが当時の定価14,800だったのに対してカセットビジョンJrは5,000円だったんですよ。

ゲームソフトを買えば2万円近くなるファミコンに対して、店頭価格で考えれば10,000円以下で揃えられるかもしれないゲーム機を、子供たちのために買ってきた父親の心情は、今となってはよくわかります。

まぁ当時も父親が買ってきたカセットビジョンJrを見て、「なんでファミコンじゃないんだよ!」とか、「なんでこんなショボいゲーム機買ってきたんだよ!」だなんて思うようなこともなく、ちょっとお堅い父親が、僕ら兄弟のためにゲーム機を買ってきてくれたこと、家でゲームが遊べるようになったことが素直に嬉しかったように覚えています。

記憶が定かでないけど、今調べてみて思い返すと、遊んでたゲームは「きこりの与作」と「アストロコマンド」だったのかなぁ。

弟と一緒に夢中になって遊んでいましたね。

そんな僕がファミコンと出会ったのは、友達の家に遊びに行った時でした。

「ドンキーコング」や「ベースボール」、「サッカー」とか「F1レース」も遊んだのかな。

自分の家にあるカセットビジョンのゲームに比べて、カラフルで美麗なグラフィックのゲームを見て、ただただ凄いなぁと思っていたように覚えてます。

ですがそれで、うちにもあれ買ってよ!カセットビジョンはショボいしもう時代遅れだよ!なんてことにもなりませんでした。

ファミコンを持っているその友達を見て、「やっぱりお金持ちの家の人が持ってるゲーム機は違うなぁ」みたいに思っていたような。

よくよく思い返せば、その友達の家も当時の我が家と同じ集合団地の家だったから、お互いの父親の収入もそんな変わらなかったと思うんですけどね。

なんか、親からすれば物分かりのいい子供だったのかなぁ。

でも、羨ましいのは羨ましかったですね。

その友達の家だったか他の友達の家だったかで「ゼビウス」を見たときは、すごい綺麗!ゲームセンターまんまじゃん!って本当に驚きました。

当時、親に連れて行ってもらってたデパートの屋上にあったゲームコーナー。

親から100円もらって遊べる「ゼビウス」が本当に楽しくて。

でも1回100円だけって約束だったから、1ステージクリア出来るか出来ないかで毎回終わってたんですよね。

その「ゼビウス」をゲームセンターそのままに好きなだけ遊べる。

凄い羨ましかったものです。

今、ファミコン版「ゼビウス」を改めて見ればゲームセンターそのままではないってのはわかるのですが、当時の子供だった僕にはゲームセンターそのままに見えたものですよ。

で、その後「スーパーマリオブラザーズ」が発売されてファミコン人気が国民レベルで爆発。

同級生もみんな持つようになっていって、話題もファミコンの話ばかり。

「スーパーマリオブラザーズ」に「ドルアーガの塔」「スターフォース」「ロードランナー」「ハイパーオリンピック」…

夢のような話題をしているのに全くついていけない。

誰も「きこりの与作」の話なんてしていない。

もう悲しかったですねぇ。

おそらく弟も同じ思いをしたのでしょうね。

父親に泣きつき買ってくれとせがみ、同調するように僕も泣きつきました。

ファミコンが話題になっているのは多分父親も知っていたのでしょう。

友達の話題についていけない子供たちを不憫に思ったのか、ファミコンを買ってくれることになりました。

記憶が正しければ、クリスマス時期だったと思います。

高価な玩具ですからね、兄弟合わせてのクリスマスプレゼントだったのでしょう。

弟と父親が一緒に買いに行きました。

僕はやっと家で「スーパーマリオ」が遊べる、とウキウキでしたねぇ。

いや、友達の間で大人気の「キン肉マン マッスルタッグマッチ、」を買ってくるかもしれない、友達の家で遊ばせてもらって面白かった「スパルタンX」かもしれない。

ワクワクしながら母と一緒に家で待ってたのですが、弟と一緒に父親が持って帰ってきた大きな袋から出てきたのは、夢にまで見たファミコンと、白と赤で彩られた、ちょっと愛嬌がある見た目のロボットだったのです。

その他にソフトはなし。

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ロボット。

そう、今ではスマブラにも参戦しているファミコンロボット。

予想外すぎてビックリしましたね。

ゲームは「ブロックセット」の方だったと思います。



「なんだよ!なんでスーパーマリオじゃないんだよ!せめてゼビウスだろ!何買ってきてんだよ!」

なんて事言って、弟と父を責めることはありませんでした。

ファミコンロボットを持っている友達はいませんでいたが、テレビのCMかマンガ雑誌とかでは見たことがあるように思います。


なんだろう、見た目凄いし面白いのかもしれない。

や、なんて素直な子供だったんでしょう。

こんな素直な子供がどこをどう間違って、こんなひねくれた大人になったのでしょう。

まぁファミコンというゲーム機の予備知識がなく、事前の情報なんてものも全然見てなかったというのがあるんでしょうけどね。

ファミコンが家に来たってのが嬉しくて、ロボットもなんだか凄そうに見えた。

そんな第一印象だったと覚えています。

父親がすぐに説明書見ながらセッティングしてくれて、弟と一緒に遊んでみました。

画面の中のキャラの動きに合わせてロボットが動く、ブロックを動かしていく。

最初のうちこそ「おおー!」とか言ってるんですけど、そのうちすぐに気づくわけですよ。


…面白いか?コレ…

カセットビジョンの「きこりの与作」の方が面白くないか、とか、本末転倒なことを思い始めてしまったわけですよね。

で、多分内心思ったんじゃないかな。


弟も、父親も、なんでこんなの買ってきたかな…

普通に「スーパーマリオ」買ってくればいいのに、見た目に騙されて凄そうなのを買ったんだな…

とか思ってたかもしれないですね。

ファミコン自体は嬉しかったから、口には出しませんでしたけど。

弟はもっと淡々と、無口になっていきましたし。

そしてそのうち2人とも遊ばなくなりました。

せっかく大金払って買ってあげたゲームを、「面白くない」と思ってすぐに遊ばなくなった子供2人を父親はどう思ったのか。

まぁ父親が見てても面白くなさそうだなとも感じたんでしょうね。

それでよしよし、これでゲームしなくなるぞとか思ってもよかったとも思うのですが、あんまりにも可哀想に見えたのかな。

それぞれ好きなゲームを1本ずつ買ってもいいぞと言ってくれたんですよ。

ファミコンとロボットで大きなお金を出したばかりのはずなのに。

今ではこうなった理由、ファミコンと一緒に買うのになぜロボットを選んだのか、何となくですがわかるんですよ。

きっと、抱き合わせ商法だったんでしょうね。

当時のファミコンは店頭に並ぶと即完売の大人気商品。

特にクリスマス商戦となれば黙っていても売れる商品。

となると、売れる本体に人気のソフトだけを買わせるわけにはいかない。

売れずに残っているソフトなども一緒に買わないと、本体売れませんよ。

そんなことが罷り通っていた時代でした。

でファミコンロボットは遊んでみたらすぐにわかるのですが、やること単調で正直面白くないしすぐに飽きる。

当時のユーザーの評価もそれほどよくなかったのではないでしょうか。

きっと不良在庫として店頭に余っていたものを、ファミコンを買いに来た親子に買わせた。

こちらのロボットとセットのものでないと販売していません、みたいな感じで。

思えば弟がロボットを遊んでいる時も、どこか複雑な表情だったんですよねぇ。

それはただ面白くないだとかそんなわけではなく、父親と店員のやりとりを見ていて事情を知っていたのかもしれません。

まぁファミコンロボットは残念でしたが、好きなゲームをそれぞれ買ってもいいと言われたのは嬉しかったですね。

弟は前々から欲しがってた「スーパーマリオブラザーズ」を選択。

僕もスーパーマリオが欲しかったのですが、弟が買ったのでじゃあ何を買おう。

「キン肉マンマッスルタッグマッチ」や「チャレンジャー」といった選択肢があったのですが、なぜか僕が選んだソフトは「ボコスカウォーズ」でした。


そう、僕が初めて買ってもらったファミコンソフトは「ボコスカウォーズ」だったのですよ。

なぜ他にも人気のソフトいっぱいあったのにこのソフトを選んだのか。

多分パッケージに惹かれたんでしょうね。

CDやゲームのジャケ買いをしてしまう傾向がある僕ですが、その兆候がこの頃すでにあったのだと思います。

もう一つ、PCを持っていた友人の家でPC版の「ボコスカウォーズ」を見させてもらったことがあるように覚えてます。

この辺は記憶は定かではないんだけど、友人が持っていたPCゲームに憧れを抱いていたのでその辺も影響してるのかなぁ。

「ボコスカウォーズ」は最初のうちはよくわからなかったんだけど繰り返し繰り返し遊んでゲームを理解していきましたね。

後々知ったのですが、PC版とは別物と言ってもいいぐらいに手を加えられた移植版だったようなのですが、友人の家でも後ろでちょっと見ていただけで遊ばせてもらっていたわけではないので違いなんてわからなかったですね。

なので楽しく遊ぶことが出来ました。

「ボコスカウォーズ」の思い出は、僕や弟が遊んでいるのを後ろで見ていた母親が、「見ているだけで面白い」と言っていたのを覚えています。

弟が買った「スーパーマリオブラザーズ」も、見ていて面白いと言っていましたね。

軽快な音楽でピョンピョン飛び跳ねるスーパーマリオが見ていて面白いというのはわかるのですが、なぜ「ボコスカウォーズ」を見ていて面白かったのか。

息子たちが楽しんでいるのを見ているのが面白かったのかな?とも思うのですが、その後買ってもらった他のゲーム遊んでいる時はそんな事言わなかったんですよね。

友人から借りた「キン肉マン マッスルタッグマッチ」を兄弟で盛り上がって楽しんでいた時に至っては、「何が楽しいのか全然わからない」とも言ってましたし。

「ボコスカウォーズ」は本当に、見ていて面白かったらしいんですよ。

見られてる僕の方も、母に楽しんでもらおうと頑張って遊んでいたように覚えてますね。

「すすめ〜、すすめ〜、ものど〜も〜♪」

とか口ずさみながら。

2本目に買ってもらえたソフトも覚えています。

テストでいい成績出したそのご褒美で買ってもらえたんだったかな。

そのソフトこそ「1942」でした。


当時はまだ1人でゲームセンターに行けるような年齢ではなく、親に連れて行ってもらっていたデパートの屋上のゲームコーナーでも、AC版の「1942」を見た記憶はありません。

当時の僕はゼロ戦などの第2次世界大戦時の戦闘機が好きで好きで、従兄弟のお兄ちゃんから譲ってもらったゼロ戦大百科みたいな本を何度も何度も読んでいましたし、プラモデルもよく作っていました。

なので親に連れて行ってもらったオモチャ屋だったかホームセンターで買ってもらうゲームを選ぶときに並んでいた、「1942」と「スカイデストロイヤー」のどちらを買ってもらうか、非常に悩んだ記憶があります。


それでなんで「1942」の方を選んだのか、その記憶は定かではないのですが…

元々、P38ライトニングという機体が好きだったので、それが大きかったのかな。

唯一無二の、双胴ボディの機体デザインが好きだったので、「1942」を選んだような、そんな気がします。

ファミコンの「1942」もまた、AC版と比べるとかなり劣化しているという話を後々に知りましたが、こちらもまたAC版はほんと遊んだことがなかったので、とても楽しく遊びこんでましたねぇ。

オープニングの軽快なBGMがとっても好きでした。

その後のBGMはとっても地味になるのですが。

その次に買ってもらったのは多分、「魔界村」


親戚の叔母さんが帰省の際にお土産を毎回買ってきてくれてたのですが、そのお土産でおねだりしたように覚えています。

AC版の「魔界村」の存在は知っていましたが、遊んだことはなかったと思います。

デパートのゲームコーナーなどで、どこかのお兄さんが遊んでいるのを後ろで見ながら、面白そうだなぁと思ってました。

なのでファミコンで「魔界村」が出ると知った時は嬉しくて嬉しくて。

田舎に帰省した時に叔母さんからもらった時には、早く家に帰りたくて仕方がなかったですね。

さすがの当時の僕でも、グラフィックがAC版より劣化しているのは一目見てわかりました。

でもそんなこと、気になりませんでしたね。

家で「魔界村」を遊べる。

遊びたいけど遊べなかった「魔界村」が遊べる。

それだけが嬉しくて、何度も何度も死んではリトライを繰り返しながら楽しんでいました。

この叔母さんの帰省のたびに買ってもらったソフトは他に「ディープダンジョンⅢ」や「キングオブキングス」を買ってもらったっけなぁ。

そのうちに父親がディスクシステムを買ってくれたんですよ。


一緒に買ってくれたのが「ゼルダの伝説」と「スーパーマリオブラザーズ2」だったかな。

「スーパーマリオ2」欲しさに弟が父にねだったような、そんなように覚えています。

そして一方の「ゼルダの伝説」に僕はめちゃめちゃハマりましてねぇ。

当時、中学3年生だったのに受験勉強一切しないで遊びこむようになっちゃったんですよ。

そんなダメ息子に危機感を覚えた両親が、ファミコンを隠しちゃったんですよね。

持っていたマンガは全て処分されちゃったのですが、ファミコンが処分されなかったのは弟との共用品だったからでしょう。

ダメな兄貴に巻き込まれてゲームを遊べなくなった弟はいい迷惑でした。

その後、弟は高校生を卒業するぐらいの頃にはゲームも卒業したようなのですが、それ以前からあまりゲームを遊ばなくなってました。

おそらくゲームしすぎの兄のせいでゲームが出来なくなったことも、弟がゲームを遊ばなくなった一因にあるのかもしれません。

ほんと、申し訳ない。

ちなみにこの「ゼルダの伝説」をクリアしたのはもう随分後で。

クリアしないままゲームを隠されて、無事に高校に合格してゲームが戻ってきた頃には「ドラゴンクエストⅡ」などに興味が移っており、ゼルダの続きを遊ばないままにしていて、そのうちにどうしても遊びたいディスクシステムのゲームがあったので「ゼルダの伝説」のディスクに書き換えるという愚行をおこなってしまったんですよねぇ。

その後、SFCの「神々のトライフォース」やGBの「夢を見る島」を遊んだ後で、初代もちゃんとクリアしないとダメだなぁと思ってROM版を中古で購入してクリアしました。

「ドラゴンクエスト」も衝撃でしたねぇ。

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「ドラクエ」は友達から借りて遊んだのですが、本当に面白かった。

「ドラクエ」を好きになったから、「FF」をはじめとした様々なRPGを好きにな好きになり、弟がとっくの昔に卒業したゲームを未だに好きでいられるようになったと言っても過言ではありません。

お年玉で購入した「ドラゴンクエストⅢ」は何回遊び直したか数えきれないほど。

1番遊び直したソフトを挙げろと言われたら、間違いなく「ドラクエⅢ」を挙げますね。

ちなみに「ドラクエⅢ」と言えば、抱き合わせ販売にされることも多くって。

僕も最初に買いに行ったお店で、「ドラクエⅢ買うなら、この中のどれかも一緒に買わなきゃダメだよ」と言われて、全然惹かれないソフトばかりが並んでいた記憶があります。

その店で買うのは止めて、抱き合わせをしてないお店を一生懸命に探した記憶がありますねぇ。

「ドラクエ」と言えば「FF」ですね。

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僕の「FF」ファーストコンタクトは「FFⅡ」だったんですよ。

「FFⅡ」発売直前に雑誌で特集されていたのを見て、もう欲しくて欲しくて。

親にお願いして早めのクリスマスプレゼントで買ってもらったように覚えています。

オープニングの“くろきし”戦でいきなり全滅して、何度遊び直しても同じ結果で、不良品摑まされた!とか思ってましたねぇ。

「ウィザードリィ」も思い出深いソフトです。

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PC版のWIZの存在は全然知らず、ゲーム雑誌での特集もあんまり見た記憶がないまま、黒一色のパッケージ見ただけで購入した、言わばジャケ買いソフト。

これがまぁ面白くて面白くて。

最初のうちはよくわからなかったのですが、どんなゲームか理解した頃にはズッポリはまってましたねぇ。

徹夜して遊びこんでいました。

忍者一人旅なんてのもやっていたなぁ。

ファミコンで言えば「MOTHER」も外せません。

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MOTHERは発売から結構遅れて買ったんですよ。

その時遊んでるソフトがなかったので、何か面白そうなソフトないかなぁと、中古ゲームショップを物色した時に目に入った赤一色のパッケージに惹かれて購入しました。

WIZと同じくのジャケ買いです。

その頃、MOTHERというゲームがあることは知っていたし、糸井重里さんの存在も知ってはいたのですが、それがどんなものかよくわからないまま遊びました 

遊ぶうちに、その独特のゲームデザインや音楽、そして糸井さんの描くキャラのセリフ1つ1つがとっても好きになりました。

それまで読んだこともなかった糸井さんの本もよく読むようになりましたねぇ。

そして、当時は彼女いない歴の年数が年齢とピッタリ合っていた僕は、ホーリーローリーマウンテンでの主人公とアナのダンスにもうドキドキしましてね。

初恋のようなゲームでもあるんですよ「MOTHER」というゲームは。

メガテンシリーズとの出会いもファミコンでした。

最初に出会ったのは「デジタルデビル物語 女神転生2」

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FFと同様に「2」がファーストコンタクトでした。

大学の友人から借りたのがきっかけだったのですが、世紀末でサイバーパンクな世界観にやられましたねぇ。

多分、この時に「メガテン2」を借りてなかったら、その後メガテンを遊ぶこともなかったかもしれないですね。

他にも好きだったゲームを上げて行けばキリがないけど、面白くて、好きなゲームが多いハードでしたファミコンは。

その後、PS2が発売される直前ぐらいまで僕のテレビのRFスイッチにはファミコンが刺さっていて、気が向いた時に「ジョイメカファイト」や「悪魔城伝説」などを遊んでいたものです。

ただ流石に64やPS、SSにネオジオCDといったハードが揃っていた時に、SFCですら電源を入れる機会が少なくなっていた状況でファミコンを遊ぶという選択肢はなかなかなかったですねぇ。

で、ある時、たまにはファミコンで遊ぶか、と電源を入れた時に一瞬電源が入ったようにブラウン管に一本の線が走ったのですが、その後うんともすんとも言わなくなりました。

電源を何度入れても変わらず、カセットを抜き差ししても変わらず、とうとうファミコンに電源が入ることがなくなったのです。

中学生の頃に弟が父親と一緒に買ってきたファミコンが、弟が手を全く触れなくなっても遊び続けたファミコンが、10年以上の時を経て天に召された瞬間でした。

当時ならまだファミコンの修理などのサポートを任天堂は行なっていたと思います。

でも、当時の僕はもうファミコンを遊ぶことはないだろうなと思って処分しちゃったんですねぇ。

お店に行けばAV端子仕様のNEWファミコンもまだ普通に売ってましたし。

あの時の、修理しなかった選択は、本当に悔やまれるよなぁ…

今回は、ファミコンの思い出語りでした。

子供の頃に父親が買ってくれたファミコンは、その後の僕の人生を大きく決定づけたと言っても過言ではありません。

ファミコンで出会った多くのゲームたちに魅せられた僕は、その後もスーパーファミコンにプレイステーション、そして今のSwitchに至るまでゲームを遊び続けてきました。

中学生の頃の僕が、50歳になってもゲームを遊んでいるだなんて想像だにしないでしょうね。

実際、一緒にファミコンで遊んでいた弟は、20になる前にゲームを卒業してましたし。

僕も同じようにゲームを卒業していたら、今とは違う人生を歩んでいたかもしれないし仕事一筋に生きていて現在のような薄給な仕事はしていなかったかもしれません。

でも、それはそれで彩りの足りない人生だったのではないかなぁとも思うのです。

僕はファミコンと出会い、ファミコンゲームの「ゼルダの伝説」や「ドラクエ」に「FF」、「WIZ」に「MOTHER」、「女神転生」に出会いました。

そこで体験した物語は、僕にとってそれぞれもう一つの人生だったような、そんな気もします。

そして僕は、現実の人生の折り返しを過ぎた今もSwitchでゲームを遊び、また別の、もう一つの人生を歩んでいます。

多分死ぬまで、僕はゲームを遊び続ける人生を謳歌するのだろうなぁと思うのです。

そんな彩りのある人生を歩ませてくれたファミリーコンピュータとうゲーム機には、「ありがとう」という言葉しかありません。

今はSwitchのオンラインで、ファミコンのゲームを気軽に遊ぶことが出来ます。

ですが時々、赤と白のトリコロールカラーのファミコン実機でファミコンゲームを遊びたくもなります。

「バンゲリングベイ」を遊びながら2コンマイクで「ハドソーーーン!」と叫ぶ。

そんな体験に今一度、めぐり合って見たいものです。

今回はこの辺で。

いつかまたここで会いましょう。

終了する際は、リセットボタンを押しながら電源ボタンを切ってください。











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