僕と奥様の思い出綴り。

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お久しぶりです。

一時的な復帰です。

今回はかなり独りよがりの、それもネガティブな話になっています。

閲覧注意です。

長文で、暗い内容が続くので、読まれる方はご注意ください。

どーも、たけGです。

このことを書くべきかどうか、大変悩みましたが…

書き残すことにしました。

昨年、2023年12月25日。

全国各地では聖なる日、で賑わっていた日。

クリスマスの夜遅くのことでした。

愛する奥様が、静かに空に旅立っていきました。

2週間程度、入院していて、痛みで苦しむことも多かったですが、最後は眠るように静かに旅立ちました。

本当に、信じられないくらいの、一瞬の出来事。

久しぶりに気持ちよさそうに寝息を立てて眠っているな、と思っていたら、ふっと呼吸が止まり、そのまま僕の声が届かない場所へ旅立っていってしまったのです。

こうやって冷静に書いていますが、その事実に気づいた時の僕は全く冷静ではありませんでしたが。

奥様が最後に苦しむことなく、眠るように静かに旅立って行けたことは良かったと、今となっては思っています。

奥様は直腸癌でした。

わかってから2年の闘病生活。

思い返せば、癌とわかってから信じられないくらい、あっという間のことでした。

最初に見つかった時には手術できる、治すことが出来る、との事でそれを信じ手術に向けて取り組んできました。

奥様は本当に頑張っていたのです。

コロナ禍の中、面会もままならない中で1ヶ月近い入院もしていました。

寂しくて不安だったと思います。

毎日電話していました。

「将来が不安で、死ぬならすぐにでももう死にたい」

そんな言葉が出た事もありました。

それでも奥様は退院まで頑張りました。

明るい未来を信じて、病気を克服して生き続けられる未来を思って、頑張ったんです。

だけど、現実は残酷すぎました。

手術の日を目前に控えた検査の日、転移が見つかりました。

肺と肝臓に転移していました。

「手術はもう出来ない」

医師からそう告げられました。

抗がん剤によって転移が消える、もしくは元の癌が小さくなる。

そうすればまた手術出来るかもしれない。

医師が離してくれたその可能性を信じ、奥様は抗がん剤治療に臨みました。

様々な副作用に苦しみながら、耐えて耐えて頑張っていました。

なのに結果は一向に良くならず、抗がん剤が変わる度に副作用も変化してまた苦しくなっていく。

それを繰り返していった昨年12月に入った頃。

奥様は、体を動かすのも、手を動かす事さえも難しくなっていて。

そんな折、主治医からもう使える抗がん剤が無いということと、緩和ケアへの移行を告げられました。

死亡宣告に等しい言葉。

余命は2〜3ヶ月。

あまりに残酷な現実。

しかし、現実は更に残酷でした。

治らない痛みを和らげるため、緩和ケア病院へ入院する事に。

緩和ケア病棟への入院ではありましたが、自宅でケアが出来るように自宅の環境を整えるための一時的な入院のはずでした。

ですが、入院先の医師から告げられた現実。

「これまでの主治医から聞いていた状況よりもずっと悪い。

おそらく年内はもたないでしょう。

退院も、叶わないと思います」

足元が崩れていくような、そんな感覚が襲ってきました。

目の前が廻り始める、地に足がついていない状態。

「大丈夫ですか?」

同席していた看護師さんの声が遠くで聞こえる。

知らず僕は涙を流していました。

大人になってからは、祖父母が亡くなった時でも人前で泣くような事はなくなった僕だったのですが、言われるまで泣いてる事に気付いてませんでした。

そして僕は決意しました。

もう、治療が出来ないのなら、医師もどうにも出来ないのなら、ずっとそばにいよう。

僕に出来る事はもうそばにいて奥様を支えてあげる事だけ。

職場にお願いして当面のお休みをいただく事にしました。

年末年始に突入する忙しい時期に、いつまでともわからない長期の休みを許していただいた職場には感謝しかありません。

そして、終わりが来る、その日までそばで一緒に…

そんな悲壮的な思いではありませんでした。

僕が常にそばにいる事で、奥様にも希望が生まれてそれが生きる力になる。

医師の告げた余命を乗り越えて、退院して自宅に戻れるようにする。

何ヶ月もかかっても、休める期間を過ぎて退職せざるを得ない事になっても、奥様のそばにい続けて生きる希望を作り出そう。

そんな思いからの決断でした。

抗がん剤が無いのであれば、僕が抗がん剤になって治してみせる。

奇跡を起こしてみせる。

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そんな思いからであり、どれだけ時間がかかっても寄り添い続けようと思っていたのですが…

現実はやはり、マンガのようにそんな甘いものではなく、実にシビアで残酷なものでした。

医師が告げた通り、その年を越すこともなく、

2023年12月25日クリスマスの日の夜遅く、静かに旅立っていきました。

ほんの数分前にはやり取りが出来て声をかわしていた奥様が、呼びかけにまったく応えなくなって。

看護師さんの

「もう、旅立たれてます」

その声がずいぶん遠くに聞こえました。

僕はこの時、かなり取り乱していたと思います。

思います、と言うのはこの時の記憶がとても不明瞭になっているから。

つい数ヶ月前のことなのに随分昔の事のようにも思えるし、現実の事ではなかったようにも思えるから。

思い出そうとすると、その時の病室の風景が油彩の絵の具で掻き乱されるように頭の中でぐるぐる廻ります。

はっきり思い出されるのは、看護師さんの声。

「そんなに揺らさないでください!奥さんをもう休ませてあげてください!」

と、怒る声。

さぞかし僕は取り乱していたのでしょう。

「この病院に入った時にここがどんな病院か、説明を受けていたのでしょう?それを受け入れて入院されたのでしょう?」

続けて静かに、自分より随分年下だと思われる看護師さんに怒られる、50過ぎのおっさん。

余命を聞いた時に、希望を捨てない思いと共に、その時の覚悟はしていたつもりでした。

ですが、覚悟なんてこれっぽっちも出来ていなかった。

いなくなってしまうことを、声を返さなくなることを、

命の灯火が消えてしまうことを、考えようともしていなかった。

ここに至るまで、奥様が助かるような明るい未来しか考えようとしてなかったんです。

「あとはお別れの時間にします。

他のご家族を呼んでください」

看護師さんはそう言って出て行きました。

静かになった病室には、僕と奥様の2人だけ。

娘と義兄に電話をしたあとで、奥様の手を握りました。

まだ温もりのある手。

死んでいるだなんて思えなかった。

何度も何度も、奥様の名前を呼びました。

目を覚さない奥様。

不謹慎にも、頭の中をひとつのセリフが流れました。

“へんじがない。ただのしかばねのようだ”

返事がない。

屍。

突きつけられる現実。

目の前に奥様がいるのに、そこに奥様はもういない。

目をさまさない。

話をしない。

あの、大好きだった笑顔を、もう見られない。

涙がとめどなく溢れてきて。

病室の外で、娘が走る足音が聞こえるまでの間、僕は声に出して泣き続けました。

その後、娘が到着して、義兄夫婦と義母が到着して。

一通りのお別れの後、医師が来て奥様の死亡を確認。

時間は既に深夜0時を廻り、12月26日になっていました。

なので、記録上の奥様の命日は12月26日に。

だけど、僕の前から奥様が旅立っていったのは12月25日、クリスマスの深夜。

だから僕にとっては、聖なる夜のクリスマスが奥様の命日になったんです。

これから毎年、僕はクリスマスのたびに思い出すことになるでしょう。

その後の葬儀屋の手配、関係者への連絡、通夜、葬儀。

そして火葬。

思い返すと僕は自分でも驚くほど冷静に、事務的に淡々とこなしていきました。

自分で思うよりも、僕は冷淡な人間なのかもしれません。

僕と奥様、出会ってから16年、結婚してからは13年でした。

奥様は2度目の結婚で、既に娘が1人いました。

先ほどから書いている娘は、僕にとっては義理の娘にあたります。

更に奥様と出会った時にその娘は子供を授かっていて。

なので奥様と結婚した僕は、当時は40手前でいきなり孫持ちのおじいちゃんになったわけです。

このブログや、SNSで名乗ってるたけGのGは、本当におじいちゃんのGでもあるわけです。

晴れて結婚した僕ら夫婦ですが、趣味嗜好は全然正反対でした。

引きこもりでゲームばかりしている、インドアな僕。

お出かけ好き、ドライブ好きな、アウトドアな奥様。

奥様はまずゲームをしません。

マンガもほぼ読みません。

僕が大好きなB’zに至っては、苦手という始末。

付き合い始めの当初、B’zを好きにさせてみようと一度だけLIVEに連れて行ったのですが。

付き合い始めのラブラブ期で、お互いへの忖度も発生してそうな時期に、

「拷問でしかなかった」

と、言うくらいジャンルとして苦手なようでした。

それくらい趣味嗜好が正反対な僕らでしたが、何故か惹かれあったのです。

奥様はそんな僕の何が好きになったのか。

まだ元気だった頃に聞いた時に、

「本当にね。好きになる要素、何もないのにね」

と、笑いながらズケズケと言っていました。

毒舌家だった奥様。

だけど、その後でこう言ってくれた事を忘れていません。

「でも、わかんないけど好きになったんだもの」

誰よりも、何よりも優しかった奥様。

「いつまでも子供みたいにゲームばかりして」

呆れるようによく言っていた奥様。

でも、僕がゲームで遊ぶ事を決して否定はしなかった奥様。

そんな基本、ゲームをしない奥様と一緒に遊んだ Switch「マリオテニス」の思い出は、宝石のように輝いています。

去年「スイカゲーム」を楽しんでいた奥様を見れたのも良かった。

一方で、もちろん僕も奥様の好きな事を否定する事はありませんでした。

むしろ休日は奥様ファーストで、奥様が行きたいという場所へ一緒にドライブへ出かけていました。

1人だった時には引きこもってゲームばかりしていた僕は、おしゃれなカフェでランチするとか、夏の海岸線や秋の紅葉の中をドライブするとか、温泉地へ旅行に行くだなんて習慣はありませんでした。

奥様が僕に、外へ出かける事の楽しさを教えてくれたんです。

そして何よりも、奥様の嬉しそうな笑顔を見ることが楽しみだったんです。

1人が長かったように書いてますが、奥様と出会う前には誰とも付き合うような事はなかった、なんて事はありません。

何度か女性とお付き合いもしてきました。

ですが、僕の偏屈な性格が災いしてか一年以上長続きした事はありませんでした。

他に好きな人が出来たと唐突に別れを告げられたり、いきなり連絡が全くとれなくなったりしたこともありました。

きっと、男としての魅力が欠けているんでしょう。

ですが、奥様はそんな僕と、付き合ってた時を含めて16年、ずっと一緒にいてくれて、結婚もしてくれました。

まだ病気になる前、こんな未来になるなんて予想もしていなかった頃。

「生まれ変わっても一緒になりたいね」

と、よく言ってくれてた事を思い出します。

まあ、奥様によるとその時は男女逆転で生まれ変わりたいらしくって。

奥様が男性として、僕が女性として生まれ変わって一緒になるのがいいとのことですが。

奥様によると、僕は女々しくて偏屈で面倒くさい性格。

そして奥様は毒舌家にして強気、即決即断なところもある性格なので、僕ら夫婦は男女逆転したらちょうどいいそうなのです。

僕としたら出来れば女々しい男のままでも、強気な女性の奥様ともう一度結ばれたいんですけどね。

そんな女々しく面倒くさい性格の僕と、来世も一緒になりたいと言ってくれた奥様。

一緒のお墓に入りたいとも言ってくれてました。

これも話をしたのは老後、よぼよぼのお爺ちゃんお婆ちゃんになった後の未来の話だったんですけどね。

それだけ、こんな僕と一緒でいたいと思ってくれてたんだなあと思います。

そして、僕にとっても一生涯の女性であったと、心から思います。

女性、というだけでなく、こんな僕をここまで受け入れてくれた人は僕の人生において他にいなかった。

奥様は僕にとって、妻であり、恋人であり、親友であり、家族であり、

そしてもう一人の僕でもあったような、そんな大きな存在でした。

奥様を失くしたということは、僕の半身を失くしたに等しいことでもあります。

奥様がいなくなり、事務的な手続きを済ませて、長く休んでいた仕事にも復帰しました。

ただ、正直言って将来への目標も、未来への展望も見られなくなりました。

奥様がいない毎日に意味はなく、奥様と一緒に歩けない未来にもなんら希望はなく。

ただただ毎日を過ごしているだけです。

正直言えば、今すぐにでも奥様がいる場所へいきたい。

最初のうちはそう思うことも多かった。

ですが、自分で自分を終わらせようだなんて、そんな事は思っていません。

先日、人生初のコロナに罹患し、看病してくれる奥様がいないことで一人になったことを痛感しながら、療養に向けてしっかりと取り組みました。

最後まで生きる事を諦めず、頑張って闘い続けた奥様。

僕が簡単に自分で自分の幕を降ろしてしまったら、きっと、そんな奥様と向こうで会う事は叶わないように思うのです。

何よりも、奥様は自分の娘や孫たちのことを最後まで案じていました。

病気が進行し、体力がかなり落ちていた時、奥様は弱々しくも強い声で言ったのです。

「私が死んだら、みんなをお願い、支えてあげて。

守ってあげて」

僕はこの時、「わかった、任せろ」とは言わず、「死んだらなんて、そんな事言わないで」と言ってしまいました。

「絶対に良くなるから、そんな、死ぬような事を言わないで」と。

奥様が僕の事を女々しい男と評したのもわかります。

奥様が安心出来るよう、「わかった、任せろ」と言ってやれなかった事、激しく後悔しています。

だからせめて今は、遺影の中の奥様へ、「任せろ」と言ってます。

孫たちの成長を見届けて、成人するのを見守る、義理だけど娘が困っている時は支えになる。

奥様がしてあげたくて、出来なかったことをやり遂げる事が、僕の生きる意味だと思うようにしました。

そして何年か、十年以上先か、奥様と一緒のお墓に入るのを将来の目標にしよう。

奥様の分まで生き続けて、自分の生を全うして、待っていてくれてるであろう奥様に会いに行こう。

そう思うようにしています。

それが、自分の生きる意味になればいいなと思っています。

先に書いたように奥様は、お出かけが好きな人でした。

休日には一緒に、いろんなところへ行きました。

ですから、奥様がいなくなってからまた引きこもりになってしまわないようにしよう。

奥様と一緒に行ったところに、また奥様が行きたいと言っていたところに、休みの日は出かけていこうと思っています。

奥様が行きたいと言っていて行けてないところ、いっぱいあるんです。

近所では船で渡れる猫で有名な島。

遠方では鹿児島、東京。

他にもいっぱいあります。

東京は、病気が発覚する前の2020年に旅行に行くことを計画し、新幹線や宿まで撮っていたのですが…

2020年ということでピンとこられた方もおられるかもしれませんがコロナが日本を直撃したタイミングと重なってしまったんですよね。

泣く泣く行くのを断念。

断念したのも出発間近ではあったのですが、事情が事情なだけにJRも宿もキャンセル簡単に受け入れてくれたことを思い出します。

コロナが落ち着いたら、絶対に行こうね、そう話していたのですが、コロナが落ち着く前に奥様の病気がわかってしまって。

なので今年は難しいかもしれないけれど、遠くない将来に奥様の想いと一緒に旅行に行こうと思っています。

なんだか前向きになっているように書いてますが、気持ちはまだまだ全然後ろ向きなんですけどね。

ちょっとしたことで奥様のこと、思い出してしまいます。

2人で暮らしていた3LDKのマンション。

ダイニングのテーブルに、リビングのソファに、寝室のベッドに、和室の畳の上に、奥様がまだいるような、そんな感覚が抜けません。

静かな部屋にいると違う場所から

「ねぇ」

「ちょっと来て」

声が聞こえてくるような気がします。

仕事に行く前には

「今日は何時に帰って来れそう?」

と、聞いてくる声が聞こえてきそうな気がするんです。

家に帰ると何もしていない時は、和室に設置してあった後飾り祭壇の前にずっといることがしばらくは多かったです。

奥様の遺影に向かって話しかける毎日。

時々泣いてしまう、そんな毎日。

他に何もやる気が起きない。

自分でも病んできているなぁと思っていました。

奥様がいなくなって1ヶ月、最初の月命日を過ぎた頃、このまんま無気力でい続けてもいけない、何かしないといけない。

何よりも誰よりも、奥様が心配しているに違いない。

そう思ってはじめてみたこととは…

ゲームでした。

もう半年以上放置していた「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」を再開しました。

こんな気持ちの時にゲームなんて…自分でもそう思ったのですが、不思議ですね。

ゲームを始めるとその世界に没頭し、現実での辛い気持ちや悲しい気持ちを忘れて遊ぶことが出来たんです。

やっぱり僕は思っているよりも冷たい人間なのかもしれません。

まぁその分、電源を切って静かな現実に戻ったら、また辛く悲しい気持ちが蘇ってくるんですけどね。

でもおかげで、ゲームを遊ぶことによって落ちるだけだったメンタルを安定させることが出来てきているようです。

ゲームを好きでよかったなと思えた瞬間でした。

思えば病気で闘っている時にも奥様は、

「あなたもあまり思い詰めないでたまにはゲームでもして息抜きしてね」

と言ってくれてました。

今も同じようなことを言ってくれているのかもしれません。

闘病中の奥様が僕に買ってくれた Switch「ニーア・オートマタ」大切にしたいと思います。

そういえば新作ゲームを買う時、僕は奥様に必ず

「買っていい?」

と聞いていたものです。

「ダメと言っても買うんでしょ?」

そのやりとりが恒例でした。

これからも僕は遺影の奥様に向かって

「買っていい?」

と聞いてからゲームを買うでしょう。

「ダメと言っても買うんでしょ?」

そう返してくれてると思いながら。

ゲームを再開したのと時を同じく、Xでの本アカでの呟きも再開しました。

1ヶ月以上お休みしていたアカウントでしたが、フォロワーさんたちが暖かく迎えてくれて嬉しくて涙が出そうでした。

更に、奥様が大変な状況になったのでしばらくお休みしますと言って休んでたのに、戻ってきた時に奥様について誰も何も聞いてこない、この皆様の優しさに本当に泣きそうでした。

気にされておられる方もおられるかと思います。

Xからこのブログを見られているフォロワーさんもおられるとは思いますが、いずれ、Xの方でもご報告はしなければと思っています。

そんなXでの呟き、皆さんとのやりとりはゲーム同様、僕の生活の中では癒しになっています。

奥様の闘病で実際の生活が大変な時、いよいよゲームを遊ぶのもままならなくなった時などには唯一の癒しの場であったかもしれません。

極力、私生活での愚痴やぼやきは持ち込まないようにしていました。

それは、再開した今でも変わりません。

現実では寂しさで押しつぶされそうになっていても、本アカではそれを出さないようにしています。

それは、ゲームを遊ぶ時と同じ感覚なのかもしれませんね。

Xの本アカでの僕は、いわばペルソナです。

現実から逃げてもう一人の僕を演じているようなものかもしれません。

Xの中にいる時は、辛い現実を忘れて皆さんとのやりとりを楽しみたいんだと思います。

こういうことを書くと、溜めすぎるな、みたいな助言をいただくかもしれませんけどね。

ゲームを遊ぶことと、フォロワーの皆さんとやりとりすることで発散に繋がってますからそこは大丈夫ですよ。

現実の寂しさや辛さを呟いて紛らしてる場所なら、他にありますしね。

最後に、奥様はひまわりの花が好きでした。

葬儀での祭壇に、ひまわりの花を敷き詰めたかったのですが季節的にそれは叶いませんでした。

葬儀屋さんはそれでも黄色い花を多く選んでくれましたが。

夏の日に、太陽に向かって咲くひまわり。

僕が奥様にプロポーズしたのは、奥様の誕生日でもあった夏の日に、一面に咲き誇るひまわり畑でした。

その時に、一輪のひまわりを受け取って、とても嬉しそうな、幸せそうな笑顔を返してくれた奥様の写真。

この時奥様は、「嬉しい」と言って笑顔で泣いていたんですよね。

その写真が、奥様の遺影となりました。

僕もひまわりの花は大好きです。

ですが、僕にとって奥様こそが、ひまわりの花そのもののような存在でした。


Mr.Childrenの「himawari」

元々大好きな歌だったのですが、今の僕の心情にこんなに重なる歌だったとは。

今でも聴きながらよく泣いています。

暗がりで咲いてるひまわり

嵐が去ったあとの陽だまり

そんな君に僕は恋してた

そんな君を僕はずっと

今年の夏、奥様の誕生日には、奥様にプロポーズしたあのひまわり畑に行こうと思います。
そして、仏壇まわりから部屋中をひまわりで彩ってあげよう。
そう考えているんです。

大好きな奥様を想いながら。

今回は、奥様への想い、これまでのことを書き連ねました。

なぜここで書いたのか。

 最初にも書きましたがこのブログ、最初は自分にとっての備忘録的な目的で始めているんですよね。

だから、絶対に忘れてはいけない、だけどこの先僕が歳を重ねていけば間違いなく記憶が風化していくに違いない大事な思い出を、奥様への想いをまとめて書き残しておこうと思ったからです。

奥様と過ごした日々や奥様への想いは絶対に忘れない、そう思っても記憶は風化していくもの。

自分の中で記憶が書き換えられるかもしれない。

そんな時に思い返して読めるように、記憶が薄れていってしまう前に書き残した意味合いが大きいです。

このブログのタイトル。

たまっていくのは遊びきれないゲームと数えきれないリグレット

最近はこのタイトルのことを忘れた記事ばかりですけど、元々は考えなしにゲームを買ってたまっていく積みゲーと、それによって失っていく物へのリグレット(後悔)をなぞらえたタイトルでした。

後悔。

奥様との日々については後悔ばかりです。

ああしてあげればよかった、ゲームなんて遊んでないでもっと一緒にいてあげたらよかった。

もっと手を握ってあげれば良かった。

もっと抱きしめてあげれば良かった。

最後の瞬間まで後悔ばかりだったなぁ。

今にして思えばなんだか、そんな思いを言い当てているようなブログタイトルでもあったなと思います。

ゲームばかり遊んで溜め込んでいって。

後悔ばかりが積み重なっていって。

正直、まだまだ全然立ち直れてはいません。

今回、この記事を書きながらも、思い出しては泣いていました。

泣きながら書くもんでなかなかキーボードを打つ手が進まず、かなりの難産になりました。

大人になってこんなに泣き続けるのは、おそらく二度とないでしょう。

そして、まとまりのない内容になっているんだろうなぁ。

ゲームを遊んで忘れても、Xでの皆さんとのやりとりで癒されても、寂しい気持ちはどうしようもない。

寂しくて、寂しくて、ゲームも何もしてない時は思い出して泣くこともまだ多いです。

だけど、寂しいって思うことは悪いことではないなと、最近思うようになりました。

寂しいって思うことは、奥様のことを忘れていないから。

寂しくなくなるってことは、奥様のことを忘れる、忘れるは言い過ぎにしても奥様への想いが薄くなっていくってことじゃないかなと思います。

なので、何年経っても寂しさがそのまま続いてても、僕はいいんじゃないかなと思っているのです。

奥様の生前、奥様の看病しながら枕元でキン肉マンの感想やゲームについてなどのブログ記事を書いていることもありました。

そのためか、この記事を書いている今も奥様が隣にいるような気がします。

「まだ寝ないの?」

そんな声が聞こえてきそうです。

実際、魂だけになった奥様が常にそばにいてくれてるような気がします。

外に出て歩く時、左手のひらを外側に向けて歩くのが癖になってきました。

奥様と一緒に、手を繋いで歩いていた頃のように。

なんだか、そうやって歩いていると左手にじんわり痺れが出てきて、ただの静電気かもしれないのに、

あっ、奥様手を繋いでくれてるな、とか感じます。

他に人がいても気にせず、隣にいると感じてる奥様に話しかけたり…

やっぱり病んでる?

いいんです、もう誰にどう思われたって。

奥様が見ていてくれたらそれでいいんですから。

そんな感じでいつか東京にも行ってみようと思っているので、左手のひらを外側に向けてブツブツ話しているおっさんを見かけたらそっとしておいてください。

今回はこの辺で。

いつかまたここで会いましょう。

もう少し時間がかかるかもですが、本来のブログ記事の更新も近々再開しようと思っています。

その時に、また。

最後に…

 大好きな奥様へ、この記事を捧げます。

捧げたから、内緒で書いていたこのブログも読んでいるでしょうね。

過去記事には、あなたに内緒で買ったゲームの記事も書いているから、きっと呆れていることでしょう。

何年か、何十年か先にそっちでまた会った時に、怒られるのが見えるようです。

ゲームは多分卒業できないので、呆れながら待っていてくださいね。

いつまでも、愛しています。

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一緒に過ごしてくれて、ありがとう。

コメント

  1. マルゲリータ より:

    お久しぶりです、マルゲリータです。
    ゲームのことで、お話がしたいなと思ってここに立ち寄ってみると
    「ブログ休止」の文字があり、ただ事ではないのだろうなと思っていました。
    すいません、あなたの半分も生きてない私には、かけられるような言葉は思い浮かびません。
    私は21になりましたが、未だ恋人が出来たことはありません。
    ですが、この奥様へと向けられた文章を読んでいて、自身も追体験をしているような、
    高揚感と、喪失感を感じました。とても素敵な関係だと、心からそう思いました。
    気の利いた言葉をかけることは出来ませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。
    ブログ再開、いつでも待っています。

  2. ジンガ より:

    初めてコメントさせて頂きます。
    懐かしいゲームや漫画関係の記事を読ませて頂いていましたが、今回の記事は読んでいて涙が止まらなくなりました。
    奥様への深い愛情が伝わり、胸が締め付けられるような思いでした。
    奥様のご冥福をお祈りさせて下さい。
    そういう思いです。

  3. たけG より:

    >マルゲリータさん
    お久しぶりです。
    こんな独りよがりの長文を読んでいただき、ありがとうございます。
    声をかけてもらえただけで感謝感謝です。
    マルゲリータさんにもこれから多くの出会いや縁があると思います。
    当たり前の日常は、とても大切でかけがえのない日々です。
    マルゲリータさんが素敵な日々を送られるよう、お祈りしています。
    本来のブログや下手っぴなイラストも近々再開しますので、その時にまたお話ししましょう。

  4. たけG より:

    >ジンガさん
    コメント、ありがとうございます。
    温かいお言葉、ありがとうございます。
    とても嬉しいです。
    奥様もきっと喜んでいます。

  5. あまひよ より:

    気づいたら涙を流しながら読んでいました。
    たけGさんの奥様を想う気持ちが伝わってきました、
    奥様のたけGさんを想う気持ちも伝わってきました。
    私は たけGさんの2歳下です
    想いを寄せてくれる相手と出会えなかったので、その悲しみと絶望は想像してもしきれません。
    これからも応援しています!
    星空を見て座る たけGさんのイラストですが、
    私には隣に座る奥様が見えました

  6. たけG より:

    >あまひよさん
    って、あまひよさんじゃないですかぁぁ!
    こんな独りよがりな記事に感想いただき、ありがとうございます。
    あまひよさんの優しさが感じられます。
    思えば奥様の闘病中に描いていただいたスグルのイラスト、とても勇気をもらいました。
    お守りの画像も、手元に残してある奥様のスマホにも送っています。
    そして今もXの方で、あまひよさんをはじめいろんな人と交流できていることでかなり救われてます。
    なんとなくそうではないかな…と思ってましたがやはり年齢近かったですね^^;
    これからもよろしくお願いします。
    最後、あまひよさんの感性、とても素敵です♪
    奥様はずっと僕の隣にいる、そう思っています。

  7. にゃんたろ より:

    たけGさん、こんにちは。
    自分の奥様も昨年乳がんが発覚し、幸いにも早期発見だったので無事摘出し今現在は元気に過ごしていますが、その際にこれからの事や過去の事を色々考えたので、たけGさんの奥様への思いや心境の変化に涙が出てきました。
    自分と価値観が違っても否定はせずウィットに富んだ返答で受け入れてくれる優しい奥様だったんですね。心よりご冥福をお祈りします。

  8. たけG より:

    >にゃんたろさん
    にゃんたろさん、こんばんは。
    ありがとうございます。
    趣味や価値観、本当に正反対だったのに、全てを受け入れてくれる、理解ある奥様で、僕の人生でこれ以上ない人でした。
    にゃんたろさんも、奥様も大変でしたね。
    終わるまで、心休まらないこともあったかと思います。
    にゃんたろさんの奥様は、今後何事もなく末長く幸せに暮らしていけること、心よりお祈り申し上げます。

  9. tuyoぽん より:

    たけGさん、ご無沙汰しております。
    ブログ一時休止のおしらせを読んだときに、ん?たげGさんに何かあったのかなと・・・
    大変でしたね、心中お察しいたします。
    正直、かける言葉が見つかりません。
    私は嫁さんとの、のろけ話ばかりしていましたので・・・www
    私も嫁さんとは趣味に関してはまったく価値観が違っていたのですが、かえってそれが良かったのだと思います。
    お互いのやっていることに余計な口出しはしないし、お互いの笑顔を見ることが最高の幸せだと思っています。
    幸運なことに私は結婚して今年で40年になります、付き合いを始めたのはその7年前なので、かれこれ47年になります。
    私にはもったいないほど良い嫁さんで、47年過ごしても未だにマンネリになることもなく仲良く過ごしています。
    ※嫁さんはどう思ってるのかわかりませんが・・・(笑)
    今期のアニメで「じいさん、ばあさん若返る」というのがあるのですが、面白いアニメです。
    いくつになってもお互いを思いやる夫婦でありたいと考えさせられる内容です。
    私もそうなれるようにこれからも頑張ります。
    たけGさんには奥さまの血のつながった娘さんとお孫さんがいらっしゃいます。
    それを糧にしてこれからも頑張ってください。

  10. たけG より:

    >tuyoぽんさん
    お久しぶりです!
    お元気だったでしょうか。
    読んでいただき、ありがとうございます。
    声をかけていただいただけでも嬉しいです。
    素敵な奥様と、ご夫婦ですね。
    いつまでも幸せなことを心よりお祈りさせて頂きます♪
    僕はこんな事になっても相変わらずで、ゲームばかりしています。
    Switchの中のネオジオゲームも増えてきました。
    きっと奥様はそんな僕を見て、呆れていることでしょう^^;
    そのうちまたブログの執筆も再開しようかなと思っています。
    ご家族皆様共に健やかにお過ごしください♪

  11. 通りすがりのオッサンゲーマーです。 より:

    はじめまして、通りすがりのオッサンゲーマーです(笑)
    プレステのゲームアーカイブスを調べてる時に、偶然、こちらのブログを見かけて、読ませて頂きました。
    たけGさんの、溢れるような奥様への想いが、こんな通りすがりの自分にも伝わってくるようでした。
    こんなことを言える自分ではないですけど、いつの日か、たけGさんの、奥様への想いが昇華して、つぎのステップに進めることを、心より祈念しています。
    稚拙な長文、すみません。
    失礼します。

  12. たけG より:

    >通りすがりのオッサンゲーマーさん
    はじめまして
    僕もオッサンゲーマーです(笑)
    暖かいコメント、ありがとうございます♪

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