追悼、西城秀樹さん

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どーも、たけGです。

西城秀樹さんが亡くなられました。

特に西城秀樹さんのファンだったというわけでもないのですが、一報を聞いた時は耳を疑い、事実だとわかるとそれは大きな衝撃となって降りてきました。

少し前に記事に書いた高畑勲監督や、以前に亡くなられた松方弘樹さん、高倉健さん。

僕が子供の頃から当たり前のように活躍されていた方が亡くなられたというニュースを聞くたびに、一つの時代が終わって行ってるのかなあと思います。

恐らく、昭和40年代に生まれた方々で同じように感じられている方も多いのではないでしょうか。

僕らが生まれて、生きてきた時代。

時代が終わっていってるのかな、とか考えると、寂しくもありますが…

でも、時代の節目と考えても、西城秀樹さんは、まだお若いです。

63歳。

同世代の郷ひろみさんが未だ現役で活躍しているのを見ると、早すぎるなあとも思わざるを得ません。

それはやはり、西城秀樹さんが患っていた病気が関係しているから。

僕が西城秀樹さんの訃報に心揺れたのも、それが原因なのかもしれません。

まずは振り返って西城秀樹さんがデビューしたのは1972年、僕が生まれたちょっと後にデビューされた方で、僕が物心ついた頃には既に大スターでした。

代表曲の「ヤングマン」や、「ブーメラン・ストリート」もよくテレビやラジオで流れてましたねえ。

でも、当時どちらかと言えば僕はジュリーこと沢田研二さんの方が好きで、「TOKIO」や「勝手にしやがれ」を聴いてカッコいいと思うような子供だったのですが、「ヤングマン」の「Y〜MCA〜」の振り付けは、よくマネしていたように思います。

僕が小学生になる頃には、田原のトシちゃんや近藤マッチさんに野村のヨッちゃんの、たのきんトリオ出てきて歌番組のメインの顔ぶれも変わっていきました。

僕の興味もサザンオールスターズやチェッカーズ、アルフィーへと移っていき、ジュリーさえも聞かなくなっていた頃に、ラジオでたまたま聞いた西城秀樹さんの新曲に何故か惹かれたのです。

その曲とは、「南十字星」でした。

失くした恋人を思うラブバラードで、まだ小学生くらいだった僕が、何故この歌に惹かれてカセットテープに録音してまで何度も聴いていたのかは、今改めて聴き直しても全然わけがわからないのですが、あの時の自分は、西城秀樹さんの「南十字星」という歌が好きだったんですよ。

でも、それがきっかけで西城秀樹さんのファンになったということはなく、「ギャランドゥ」でさえ、リアルタイムではスルーしていました。

その次に西城秀樹さんの歌で好きになったのは「走れ正直者」でした。

「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマだったので、知ってる人も多いと思います。

スカっぽいリズムの曲調に乗せて、さくらももこさんが作詞した独特の詞を、西城秀樹さんのコブシが入りそうな歌声で歌い上げるこの歌が大好きで、カラオケでよく歌っていました。

あの頃の僕は大学生。

友達と一緒にカラオケに行くようになり、この歌を持ち歌にして、必ず一回は歌ってました。

懐かしいなあ。

西城秀樹さんのモノマネしながら歌って、女子たちにウケをとろうとした結果、外していたっけなあ…

他の歌を持ち歌にするようになってからはあまり歌わなくなりましたが、多分、今でも普通に歌えると思います。

今回のニュースをきっかけに、久しぶりに聴き直してみましたが、やっぱり名曲ですね。

更に年を重ねて、西城秀樹さんと巡り合ったのは、ガンダム好きなら外せない(と思われる)、「ターンAターン」。

「∀ガンダム」の主題歌でした。

今でこそ名作のお墨付き(ですよね?)の、「∀ガンダム」ですが、放映当初はヒゲガンダム否定派も多かったものです。

ですが僕は全然大好きで、「Gガンダム」以降、ガンダムから離れかかっていた僕を引き戻してくれた作品でもありました。

「∀」を見なかったら、その後「G」や「W」「X」を改めてビデオで見直すこともなかったでしょう。

その主題歌の「ターンAターン」も、もちろん大好きで、一回聴いただけで惚れました。

えっ?これ西城秀樹じゃない!?って驚きつつ、これがカッコいいんですよホント。

西城秀樹さんの歌い方って、演歌歌手のようにコブシを握ってしまいますよね。

この曲もしばらくカラオケの持ち歌になってたし、実は今でも時々歌っています。

本当に大好きな歌なんですよ。

好きになった「∀ガンダム」の主題歌だったっていうのもあるとは思いますが、歌っているのが西城秀樹さんだからこそ、自分でも歌いたくなるんだと思います。

繰り返しますが、歌いながら、コブシが入ってしまうんですよねぇ。

声もいいし、歌い方も身体全体で歌っているように思います。

今回のニュースで、改めて思ったのですが、この人は本当に、歌うことを愛していたんだなあ、と感じました。

そして、この曲を通して聞き直すと、ステージに再び立つことを目指して闘病していた西城秀樹さんの姿が重なります。

本当に名曲だと思うので、機会があれば是非、聴いてみてください。

YouTubeで「ターンAターン」と検索しても聴けると思いますよ。

今回の西城秀樹さんの訃報を聞いて、大好きだった高畑勲監督と同じように心に響いたのは、やはり冒頭に書いたように、子供の頃の大スターが亡くなったことにより、時代が終わっていくことを感じたことと、好きだった「∀ガンダム」の主題歌を歌っていた人というのもあるかもしれませんが、なによりも西城秀樹さんが2度の脳梗塞に倒れられて、闘病していたということもあるかもしれません。

実は僕も数年前に脳梗塞で倒れ、病院に運ばれたことがありました。

目眩がして、まともに立っていられなくなった突然の出来事に、なにか体調がおかしい、少し休んで横になろうぐらいに考えていた僕の異変を見て、奥さんが救急車を呼んでくれて脳梗塞だったということがわかりました。

奥さんの迅速な対応がなければ、どうなっていたかわかりません。

今でこそ普通に仕事をして、ゲームで遊んで、当たり前の日常を過ごせていること。

大袈裟でなく、奥さんに命を救われたと思っています。

それでも、病院に運ばれ、入院している間に不安や絶望に襲われたこともありました。

職場に復帰できるだろうか、前と同じように生活していけるだろうか、それよりも、命に関わる状態なのではないかと。

夜の病室で、1人になった時がとても不安でした。

そんな時、奥さんから西城秀樹さんも脳梗塞で倒れた後、闘病していたということを聞きました。

(当時、僕は芸能ニュースをあまり見ない人だったので、全然知りませんでした)

入院中の時間を利用してネットで西城秀樹さんの記事を検索して、改めて知りました。

西城秀樹さんの症状は僕の時よりも重いものでした。

それでも、家族に支えられ、家族のためにリハビリに取り組んでいました。

そして、彼の歌声を待つファンのために、ステージに再び立つことを夢見て、脳梗塞、その後の後遺症と戦い続けていたのです。

あの時の、不安で押しつぶされそうな僕にとっての一筋の光明でもありました。

そして、不安に負けそうになりながらも諦めずに医師の言われる通りに療養し、その後職場復帰して今に至ります。

後遺症も何も残っておらず、一見もうなんともない状態ではありますが、再発防止に向けた療養プログラムを退院後数年間、欠かさず取り組んでいます。

生まれ出る喜びを 慈しむ心を

ゆるやかに育てて 傷口を癒そう

あなたとの間に 命ある形を

この星に捧げる 愛というしるしで

(「ターンAターン」より)

あなたの歌と、戦う姿に勇気をもらいました。

心より、ご冥福をお祈りします。

コメント

  1. 蛇口伴蔵 より:

    玉木彦助

  2. 西城秀樹 より:

    西城秀樹

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