こんなにも鮮烈な体験が出来るゲームは、他には無かった。
どーも、たけGです。
本日、10月30日は、SFC「真・女神転生」の発売日。
「真・女神転生」、実に鮮烈なゲームでした。
メガテンシリーズを知り、虜になるほど好きになったのは、ファミコンの「デジタルデビル物語 女神転生Ⅱ」でしたが、それを決定づけたのは、今作「真・女神転生」なのです。
「メガテンⅡ」にハマった僕は、スーファミでシリーズ最新作が発売されると知り、雑誌の記事を見ては期待に胸膨らませておりました。
当時はパブリッシャーとデベロッパーの関係性なんて知る由もなく、なんで発売元がナムコではなくアトラスなんて、あまり聞いたことない会社なんだろうって訝しんだものです。
タイトルも「デジタル・デビル物語 女神転生Ⅲ」ではなく、「真・女神転生」なのはどういうことだろう?とか思ってましたね。
元々の初代「DDS女神転生」が小説が原作のゲームってことは知ってたので、ナムコではないゲーム会社が原作を新たにゲーム化するからファミコン版とは全く別のゲームになるんじゃないかとか不安に感じたこともありましたっけ。
ですが、雑誌の記事をよくよく読んでみれば、「メガテンⅡ」と同様に悪魔合体は存在しているし、メーカーの関係は良くわかってなかったもののシリーズとしての関連性を匂わせるようなことも書いてあったので、最終的には期待する気持ちが勝ちました。
そして当時の行きつけだったゲームショップに予約し、発売日に速攻で購入しましたよ。
ちなみに余談ですが今作が発売された1992年当時は直近4ヶ月の間に、ほぼ1ヶ月おきのペースで「ドラゴンクエストⅤ」「ウィザードリィⅤ」「ファイナルファンタジーⅤ」も立て続けに発売されてましてね。
(いわゆる必本スーパーが言ってたところの四大RPGが同時期に発売されるという歴史的大事件)
それはもう嬉しいやら、きっついやらの複雑な悲鳴をあげてましたよ。
当時大学生だった僕は、学校にろくすっぽ行かず、ゲーム代稼ぐためにひたすらアルバイトばっかりしてたものです。
そんなゲームかバイトしかしていなかった、ダメ大学生だった頃も思い出す「真・女神転生」
遊んでみればそれはもう本当に鮮烈で、強烈で。
衝撃度や思い入れ度合いで言えばファミコンの「メガテンⅡ」の方が上だったかも知れませんが、世界観に魅せられた度合いで言えば間違いなく今作の方が上でした。
※ちなみに、ここから先はいろいろとネタバレする可能性がかなり高いので、知りたくない方はご注意くださいませ。
スタート時、主人公が見ている夢の中での主人公と仲間2人、そして更にその先でのヒロインの名前入力。
ドラクエやFFでは自分の名前入れるなんてしないのですが、「メガテン」と「MOTHER」だけは自分の名前を入力してましたっけ。
ロウヒーローとカオスヒーローの名前は、当時の1回目のプレイ時にはコウシとタカヒロにしました。
ですが、最後まで遊んでみて2人の結末を知るとB’zの2人で遊ぶのは解散さえイメージしかねない展開で、それはもう悲しくなるので2回目のプレイからは2度と付けなくなりました。
そしてヒロインの名前。
なので、片思いしていた女の子の名前…とかは、友人に見られた時に恥ずかしいぃ!というケチなプライドが邪魔をして、それさえも出来なかったもっと恥ずかしい思い出。
なので、当時好きだった芸能人の名前をつけて遊んでましたねぇ。
自分の記憶が正しければ、高岡早紀さんからとってサキと名付けてたように思います。
当時は映画「バタアシ金魚」を見て以来、ファンになっていたように覚えているので。
あ、いや、それはファミコンの「メガテンⅡ」の方だったかな、なんかこの辺の記憶は曖昧だな。
夢から目が覚めて現実世界へ。
自宅には母親と飼い犬。
母親に送り出されて外出へ。
隣の家には同い年の幼なじみの女の子。
なんて羨ましいシチュエーション!
隣の家に幼なじみの女の子が住んでいるなんて、あだち充先生のマンガの中の出来事ぐらいにしかないと思っていました。
なるほど、夢の中でつけた名前と同じこの子がヒロインで、一緒に冒険するのだな!とか思っていたらそうではなく。
いや、繰り返しますが彼女はいませんでしたけども。
外へ出れば、昨日までと変わらぬいつもの世界(らしい)
しかし、少しずつ歪んでいく日常。
この、日常から非日常へと変化していく世界の描き方がホント、秀逸なんですよ。
アーケード街で遭遇する悪魔、夢の中から続けて出会う謎の女、ゆりこ、自宅に戻ると変わり果てた母親の姿…
スーパーファミコンのデジタルなグラフィックなのに、目眩のように歪んでいく世界が、頭の中で広がっていくのが伝わってくるんですね。
この、日常から非日常へと変化する世界観はシリーズの伝統にもなっていきまして、とりわけ「真Ⅲ」や「デビルサバイバー」でも上手く描かれていますが、個人的には今作の描き方が頂点であると断言できます。
ま、思い出補正が入っているのも否定出来ませんが。
幼なじみの女の子と同じ名前の女性が登場し、仲間になるも世界の破壊とともに離れ離れに。
主人公が時間を超えた先の未来で転生した彼女と再会するという、まさに「女神転生」の名にふさわしい展開を見せてくれます。
この辺はゲームの中では若干説明不足の感もあるので、ある程度の脳内変換プレイが必要かも知れませんが…
徐々に日常を蝕んでいく混沌、正義を振りかざす秩序、翻弄される人々…
正しいものが何なのか、わからない世界の中で彷徨い続けるうちに、僕はすっかりこの世界の虜になってしまいました。
前作よりも更に高度になった悪魔との交渉や合体の中毒性もより高くなってまして、物語にもゲームそのものにもハマりまくってましたねぇ。
かと言って欠点がないというわけではなく、むしろ欠点が多いゲームかも知れません。
まず、この「真・女神転生」というゲームは3通りの終わり方があり、ロウエンド、カオスエンド、ニュートラルエンドと、ゲームの進め方によって変わっていきます。
後のシリーズにおいては段々と、どの終わり方が1番正しいのかは明確ではなく、プレイヤーの判断に委ねられるようになっていきますが、今作においては明らかに、ニュートラルエンドがベストエンディングというようになっており、他2つのエンディングはむしろバッドエンドのような赴きになってます。
ですが、これが曲者。
従来のRPGのような遊び方、って言うか前作「メガテンⅡ」のグッドエンディングを意識するような選択肢等を選んでゲームを進めますと、まず間違いなくロウエンドに辿り着きます。
ラストダンジョンのカテドラルまで辿り着いて気づいた時にはもう手遅れ。
セーブデータも2つしか保存出来ないので、ある程度まで戻ることもほぼ不可能でしょう。
そうなればもう、秩序の中にこそ生きる道を選択しなければなりません。
普通のRPGどころか、「メガテンⅡ」でも普通に遊んでればこう答えるよね、こっちを選択するよね、といった人徳的な選択肢は全てロウに偏っていきます。
かく言う僕も、攻略記事等一切見ないで進めた最初のプレイでは、一直線にロウエンドへと行きつきました。
思えば前作「メガテンⅡ」で、グッドエンドとバッドエンドの分岐点をわけるものは正義超人たちのような慈悲の心にありました。
なので、その続編たる今作でも慈悲の心を忘れないことを心がけていたのですが、そこに大きな落とし穴があります。
今作では慈悲の心が過ぎるとロウに偏ってしまうのです。
逆に、慈悲を忘れた選択を繰り返すとあっという間にカオス寄りへ。
心の天秤は常に揺れ動き、神や悪魔といった巨大な存在を前にして、ちっぽけな人間が人として強い意志で生きていくことの難しさを表しているのかもしれません。
ですが、一方でこれはあくまでデジタルなゲーム(まさにデジタル・デビル物語)なわけで。
心の中で強い意志を持ち続けたいのであれば、目に見えない数値の微妙な調整が必要になってきます。
攻略本「真・女神転生のすべて」を購入してからの2回目のプレイで、属性を中立に保ったままカテドラルへ突入するために選択肢の一つ一つをかなり吟味して選び、時には中立を保つために、あえて不本意な選択肢を選ばなければいけない場面もありました。
その後、PSとGBAに移植されたものを購入しプレイした時も、ニュートラルに保つために時に不本意な選択をしながら見えない数値の調整プレイをしてましたっけ。
ゲームとはいえ、この辺はちょっと釈然としないものを感じることもありましたねぇ。
そういえば今作のリボーンとも言える「真Ⅳ」においても、情報シャットダウンしての初回プレイではロウルートまっしぐらでした。
そう考えるとデジタルで心のありようを表現するのって、案外難しいのかもしれませんね。
(「ストレンジジャーニー」では上手く出来ていたとも思うのですが)
もう一つ難点を挙げるとすればラストの展開。
素晴らしい世界観と魅惑的な物語で構成された今作ですが、実は続編ありきで作られている節があって、いろんな謎や伏線が放りっぱなしで終了します。
カオスとロウ、それぞれのルートのラスボスも前作では中ボスや仲魔だった悪魔達であり、正直カタルシスに欠ける終わり方であることは否めません。
(真エンドともいえるニュートラルでも、この2体両方と戦うというだけで、真のラスボスのような存在も出なかったので「え⁉︎これで終わり⁉︎」という思いがありましたねぇ)
閣下ことルシファー様の仮のお姿であるルイ・サイファー氏が初登場しますが、大魔王ルシファー様の真のお姿も続編である「真Ⅱ」までお預けになってます。
この辺は、前作の「メガテンⅡ」をグッドエンディングまで遊んだ方なら尚更のこと物足りなさを感じたのではないでしょうか。
ファミコンで発売された前作や前々作を遊んでいない、今作がシリーズ初体験な方なら特に不満は感じないかもしれませんが。
僕は前作「メガテンⅡ」に魅せられたクチなので、今作の最後の最後でちょっとガッカリした記憶はあります。
(続編の「真Ⅱ」を遊べば、それもまあ良しと出来るんですけどね)
ただ、それでも最初に戻りますが世界を覆う雰囲気や主人公の周りが日常から非日常に徐々に変化していく様は、後の最新シリーズと比べてみても群を抜いて優れている今作。
最近、Nintendo Switch Onlineで久々にスーファミ版を遊んでみたのですが、世界の描き方は後のシリーズ作はおろか後年のPSやGBAへの移植作にだって引けをとってないなぁと改めて思いました。
そして音楽がね、やっぱりとても良い!
自宅から一歩、外に出た時のフィールド音楽は聴くだけでゾクゾクしてきますね。
PS版のアレンジされた音楽も悪くなかったですが、やっぱりこのスーパーファミコン独特の16ビットサウンドで流れる音楽がたまらないんですよ。
フィールド音楽のズンズンズンズズン♪はすぐに脳内再生出来ます。
ズンズンズンズズン♪が伝わるかどうかは怪しいですが…
今回はSFC「真・女神転生」の思い出語りでした。
初めて遊んだ時の衝撃は今でも強く強く、記憶に焼きついています。
目眩を覚えるような鮮烈な体験。
こんな風に感じたゲームは後にも先にもこの「真・女神転生」だけだと思います。
PS版やGBA版も出てるけど、今1番プレイしやすい環境なのは、Nintendo Switch Onlineで配信されているSFC版でしょうね。
この点は後年に移植されたPS版やGBA版の方が断然遊びやすい。
まぁこの辺は第1作ゆえの未成熟さもあるだろうし、仕方ないところでしょう。
ですが個人的にですが想像していたよりは、そこまでの遊びづらさは感じませんでした。
Switch Onlineなんで携帯モードで気軽にあそべるし中断セーブや巻き戻し機能もあって、むしろ遊びやすくなってるなと思います。
シリーズを遊んだことのない方や最近のシリーズやペルソナしか遊んだことない人たちにも是非、遊んでほしい名作です。
昔のゲームゆえの不便さやクセの強さもありますが、そこを乗り越えることが出来たならきっと鮮烈な体験を味わうことが出来ると思いますから。
今回はこの辺で。
いつかまたここで会いましょう。
それでは…
おやすみのあいだに悪魔に体を乗っ取られぬよう気をつけて…
コメント
真・女神転生良かったですよね。
当時、ゲーム雑誌の紹介記事を読んで、そのあまりの妖しい雰囲気に一発で魅了されました。帝都物語や孔雀王なんかも好きだったので、この世界観は最高でした。
戦闘バランスが雑すぎて感電させれば楽勝みたいな所が難点で、完成度はⅢにおとりますけどストーリーはこちらですね。普通の人間が召喚師として悪魔を呼び出す設定の方が好みです。
>ヤスさん
帝都物語、僕も大好きでした!
間違いなく女神転生シリーズに影響を与えている作品ですよね。
孔雀王も読んでました。あと、少しマイナーかもしれませんが、ゴッドサイダーというマンガも読んでいて、女神転生を好きになるきっかけだったかもしれません。
さすがに古い作品なので今遊ぶとバランスに難がありますが、物語は本当に最高だったと思います。
アタックナイフの裏技にはお世話になりました。
四天王の館の天狗には痛い目に遭わされました。
>名も無きパスカルさん
裏技やバグ技も多かったですね。
シバブーを連発する天狗は確かにキツかった…