追悼・三浦建太郎先生。僕と「ベルセルク」の思い出。

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それはあまりにも突然すぎた…



どーも、たけGです。

これは…なかなか現実を受け止められませんでしたね。

ニュースを最初に目にした時には、自分の目を疑い、その内容を聞いても自分の耳を疑い、何を声に出せばいいのか言葉を失いました。

三浦建太郎先生永眠。

54歳という若さでの死に驚き、そして悲しみ、哀悼するとともに頭を駆け巡った大きな思い。

「ベルセルク」は未完のまま終わってしまった…

「ベルセルク」が連載スタートしたのは1989年とのことで、僕が高校生くらいの頃だったのかな。

当時は(今もだけど)ジャンプっ子だった僕は「ベルセルク」というマンガのことを知らず、その名を知ったのは本格的に人気が出始めたころぐらいだったと思います。

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何やら人気があるらしいと耳にするようになり、「ベルセルク」という名前もコミックスの表紙も目にするようにはなったのですが、どんな内容なのかは知りもしませんでした。

そのうちアニメ化もされて、友人の中にも読んでいる人が出てきていたのですが、僕はその時もまだ手にとって読むことはありませんでしたねぇ。

友人から話を聞き、深夜に放映されていたアニメを途中からちょっとだけ見て、

これは確かに面白そう、絵柄も好きな方だし確かにこれはハマれるかもしれない。

とは思ったのですが、結局はマンガを読むこともアニメを見続けることもしませんでした。

この頃にはもはや人気絶頂というような感じで、「ベルセルク」を読む友人知人も増えていたのですが、それだからこそ“乗り遅れた”感が僕の中で大きくなり、“今更乗れない”“ブレイクしてから読み始めるなんて”といった偏屈さが出てきてしまったのですよ。

今思い返すと、誰に向けているのかわからない小さくてどうしようもないプライドで、ホント自分で自分が恥ずかしいのですが。

アニメ化もされてから数年後だったかなぁ。

当時、一緒に働いていた後輩の女の子から「ベルセルク」をその時点での全巻借りたんですよ。

最初は互いに好きなマンガの話で盛り上がってた時に、「たけGさんがベルセルク読んでないのはおかしい!」とか言われて、その翌日に全巻持ってきてたんですね。

その時もまあ本音は気になってたはずなのに、「前にアニメ見た時にあまりハマれなかったんだよなぁ」的な感じで渋々みたいに振るまって借りたんですよねぇ。

内心はタダでベルセルク読めることと、結構可愛かったその女の子が僕のために重い紙袋抱えてきてくれたことが嬉しかったはずなのに。

いやホント,あの時の自分を思い出したら恥ずかしすぎる。

どんなちっぽけなプライド抱えてたんだ。

そして借りた「ベルセルク」を読んでみて、めちゃめちゃハマりました。

もう面白いのなんのって、一気読みした後で何度か読み返しました。

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こんなに面白いマンガをなんで早く読まなかったんだって、自分で自分をドラゴンころしでもってぶっ叩いてやりたくなりましたね。

後輩の子に返却した後で、古本屋で少しずつ買い集めました。

アニメ版もレンタルビデオで改めて見ました。

ヘビーな物語とダークな世界観にハマりまくりましたよ。

あの時、あの後輩の女の子が、なかば強引に貸してくれなかったら、偏屈な僕はきっとベルセルクに手を出すことはなかったでしょう。

多分もう会うことはないと思うけど、感謝してもしきれませんねぇ。

ありがとう◯◯ちゃん!

その後、徐々にコミックスを集め続けて、最新巻に到達した後は、新刊で買っていくようになりました。

ちなみに「ベルセルク」というマンガは「ハンター×ハンター」や「バスタード」といったマンガと並んで、休載の多いマンガとして知られてます。

その休載期間中でコミックスの発刊もしばらく途絶えていた頃、僕は私生活で2度目の大金欠期に陥りまして、その時金策のために持っていた「ベルセルク」全巻を泣く泣く手放しました。

あの時は「ベルセルク」の他に「聖闘士星矢」や「うしおととら」も全巻手放しており、第一次金欠期の際のネオジオCDを手放した時に次ぐ、悔やんでも悔やみきれない人生の黒歴史です。

その後はブックオフで100円になった巻を少しずつ、再び買い戻しましたが、未だ全巻には到達していません。

っていうか、今ではスマホやタブレットでも無料で読めるようになってますからね。

たまにいいとこで終わると課金したくなる欲求にかられますが…

「ベルセルク」は物語や世界観も唯一無二の素晴らしいものですが、キャラクターについても同様。

特に主人公であるガッツというキャラクターが、他のサブカル作品に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。

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身の丈ほどもある大剣を抱えて振り回すスタイルがどれだけカッコいいか。

有名なところでは「FFⅦ」のクラウドや、「るろうに剣心」の斬左時代の左之助。

製作者や作家さんがどれだけ否定しても、少なからず影響受けてたのは間違いないと思います。

この辺が世に出たのは僕が偏屈さをこじらせていた、ベルセルクの第一次ブレイク期と合致しますし。

そしてそれはかく言う僕も同様。

ベルセルクにハマってから数年後。

初めて遊んだモンハンシリーズ「モンスターハンターポータブル2nd」

武器を選ぶ際に身の丈ほどもある大剣の存在を知ると迷わずそれを選択したのはガッツの影響が大。

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カブレライトソードなんて、見た目がまんま”ドラゴンころし”

龍属性なんてない普通の剣だけど。

ゲームを進めるうちに加工出来るようになる防具、デスギアシリーズが見た目がガッツが纏う黒い鎧みたいなもんだから、迷わずそれを選択。

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モンハンで重要なスキルは完全無視。

ガッツっぽくなるよう頭部の装備を着用しなかったもんだから、更に発動しないスキルもあり。

何やってたんだホントにもう。

モンハン経験者の友人から、初心者でアクションゲームのヘタの横好きなんだから大剣はやめた方がいいとか言われても、ロマンがあるから!みたいなわけのわからないことを言って大剣を選んだんだとか語ってましたねぇ。

ホントはただガッツにしたかっただけなのに。

画像は、今回のことで改めてガッツっぽい髪型と色にチェンジしたものなのですが、当時はガッツを意識してることがバレたくない!とかいうちっぽけすぎるプライドで髪型をそれっぽくないものにして色を銀髪にしてたのですが。

それにしたって、当時人気だった「銀魂」の銀さんを意識したもので、ホント、バカですよねぇ。

どうしたってベルセルクのガッツを意識してることはバレバレであったと思うのに。

まぁそれでもなりきりガッツプレイはとても楽しく、ソロプレイの時には頭の中でベルセルクの世界をシミュレートしていたもんです。

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ディアブロス亜種なんて脳内変換でまさに不死者ゾッドとの戦いそのもの。


って言うか「ライズ」や「 X X」に慣れてると、モンスターを正面に見据えるのもままならないな…

まぁモンハンでわざわざなりきりガッツプレイしなくとも、ガッツをそのものを操作して遊べる「ベルセルク」のゲームもありました。

前作にあたるゲームがドリームキャストで発売されてるのですが、そちらは未プレイ。

無双っぽいアクションゲームですが、一つ一つの動作がとても重く、ゲーム全体を彩る世界観もダークで、この上ないベルセルクらしさを楽しめるゲームになってました。

とても楽しかったゲームなのですが、クリアまで行ってはおらず。

難しかった…というのもあるのですが、この頃の僕が段々と据え置きゲーム機で遊べない病を患いつつあった頃でして。

PS2を起動することすら億劫になっていって、結局クリアするまで遊びこむことが出来ませんでした。

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今回のことで収納箱の中を探してみたら出てきたこのソフト。

コミックスまで売ってしまったあの金欠時によくぞ売らずにとっておいたなぁと、自分を思わず褒めたくなりました。

追悼の意を込めて、改めてしっかりと遊びなおそうかと思いましたが、その前に PS2本体を引っ張り出さないといけないのか…

調べてみると、VITAで「ベルセルク無双」なるソフトが出ているみたいだし、そっちを探してみるか。

ベルセルク無双 - PS Vita

思い返すといろいろと甦ってくる「ベルセルク」にまつわる思い出。

自分の人生においてこの名作に出会えたことは大きな財産だったなぁと改めて思います。

個人的に1番印象に残っているのは、断罪編・ロストチルドレンのエピローグ。

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逃げ出したその先に楽園なんてありやしねえのさ。

辿り着いた先、その先にあるのは、やっぱり戦場だけだ。

このガッツの言葉はですねぇ、大学卒業後に就職した会社で、あまり仕事に馴染めず人間関係も上手くいかなくて、ここは自分の居場所じゃないと辞めて、その後転職した先で地獄を見た時のこと思い出して、心に突き刺さりましたねぇ。

どこでもいいからここじゃないところでなんて気持ちで転職を考えてる皆さん、気をつけなはれや!

他にもいろいろと、人生における教訓のようなものをガッツたちに学んだようにも思います。

未完となってしまい、まさしく終わりなき旅になってしまったガッツの戦い。

三浦先生の中では、ガッツの旅は、人生はどのような終焉を迎える予定だったのか。

救いのある終わりだったのか、それとも「ベルセルク」らしく重く、救われない終わりだったのか。

それはもはや知る由もなくなりました。

先生はかつて、ハッピーエンドで終わらせたいと言っていたような報道もありましたし、アシスタントが続きを書くかもしれないというような報道も目にしました。

ですがやっぱり三浦先生の思い描いた終幕はもう見られないわけで。

読者それぞれの中で、それぞれの終わりを迎えるようになるのでしょうね。

個人的にはどのような形であれ、最後にはガッツが何を気にするでもなく心から安堵して眠りにつけるようになってほしいと、心の中で思い描くとしましょう。

三浦建太郎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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